1: 2010/09/20(月) 17:46:16 .net
維新の志士を育てた吉田松蔭。
みんなの評価は?

引用元: 【松下村塾】吉田松陰を語れ【幕末】

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3: 2010/09/20(月) 19:08:17 .net
大和魂

4: 2010/09/20(月) 20:02:58 .net
朱子学専攻の熱血高校教師

5: 2010/09/20(月) 20:10:38 .net
日本式朱子学を教える熱血高校教師

7: 2010/09/20(月) 20:22:51 .net
>>4-5
松陰は陽明学だよ。思いっきり間違えおって。

8: 2010/09/20(月) 20:27:23 .net
陽明学と朱子学の違いを一言でいうと??

11: 2010/09/23(木) 21:46:13 .net
この人ほど「頭の良い脳筋」は珍しいと思う。
身近にいたらさぞかし鬱陶しかっただろうな。

朱子学は「天皇万歳」
陽明学は「知行合一」
で良いんじゃないか。

10: 2010/09/21(火) 23:05:54 .net
最終的には反儒教系やん。皇国の皇国たる所以について、
儒学的な普遍の原理を捨てて、万世一系の天皇の存在に求めたのだから

17: 2010/10/09(土) 13:25:23 .net
先生の名言で一番好きなのは?

18: 2010/10/09(土) 14:06:16 .net
「君子素餐するなかれ」
2ちゃんねらーの耳には痛い一言だが

19: 2010/10/09(土) 17:00:15 .net
松陰先生から門弟山田顕義(市之允)に送った扇面の中に
その1節がありましたね。

「100年は一瞬のみ
君子素餐するなかれ」

20: 2010/10/10(日) 00:18:28 .net
「師の顔に泥を塗るのか!」

28: 2010/11/11(木) 20:42:26 .net
幕末のオサマビンラディン

33: 2010/11/23(火) 00:31:29 .net
松陰先生は恐ろしく頭の良い(柔らかい)体育会系

34: 2010/12/06(月) 17:22:53 .net
運動得意だったのか?

35: 2010/12/06(月) 19:29:18 .net
全然
すぐ風邪を引くような人だった

しかし学問では誰も勝てなかった
論争ではどこにも隙がなかった
妥協を全く行わない人だった
個人的な役得を一切無視し、思う真理を追及する人だった

ゆえに、井伊直弼が彼を処刑した後には、無垢の義人を◯害した幕府は倒される必要がある、という門人らにとっての大義名分が残った

37: 2010/12/07(火) 00:25:28 .net
キリストと麻原の場合は?

38: 2010/12/07(火) 03:13:49 .net
麻原は私利私欲が見えていたからなあ。いくら義を叫んでも松平容保と同列に見える。
権力争いをした場合も結果が良ければ尊敬されるのだが、権力を手に入れ損ねた場合は卑劣という評価しか残らない。

40: 2010/12/07(火) 17:53:29 .net
叔父の玉木文之進の私塾ではあの乃木希典も松陰と机を並べ
例の有名なスパルタ教育を受けていた。
この苛酷な迄にストイックな精神性を重んじるDNAは、後の日本軍に受け継がれていく。

46: 2010/12/09(木) 21:42:24 .net
>>40
吉田松陰は玉木文之進のスパルタ教育は受け継いでいない。
松蔭は基本的に穏やかで優しい人。
高杉晋作や久坂玄瑞のような才気迸る弟子には厳しく接することもあったらしい。

41: 2010/12/08(水) 00:30:07 .net
寺子屋の和算の精神性重んじてればマヌケなボロ負けなんかしなくて済んだのに

43: 2010/12/08(水) 21:48:23 .net
スゴいスゴいと言われる割に
深く語れる人は少ないイメージ

44: 2010/12/09(木) 17:12:44 .net
梅田雲浜に関わったばかりにとばっちりくらった可哀想な人
幕末の長州がたどった数奇な運命をお先に体現しちゃった感じ

45: 2010/12/09(木) 19:57:30 .net
いや松陰のキチガイ行動(誉め言葉)の数々見てると
早逝は時間の問題だったねw

47: 2010/12/09(木) 21:46:03 .net
それに比べて戸塚ヨットスクールは、学校にも家庭にも居場所がないような、
イジメラレッコやヒキコモリにスパルタ教育するんだから「仁」がないよ。
吉田松陰なら萎縮しているような生徒には、まず愛情をかけるだろうね。

49: 2010/12/10(金) 00:04:02 .net
王陽明と吉田松陰

ともに病弱で優しい人柄だけど、いざとなると誰よりも豪傑になれる。
吉田松陰も、
「一言する時は必ず温然和気婦人好女の如し。是れが気迫の源なり」
(言葉を発する時は温かい婦人や優しい女性のようにする。普段の謙虚な態度が、いざという時の気迫の源なのだ。)
と言葉を残している。

50: 2010/12/10(金) 00:20:50 .net
理想の世界に生きててちょっと現実見えてない人

51: 2010/12/10(金) 00:52:27 .net
>>50
その理想主義者を慕った高杉晋作、伊藤博文が現実を動かした。
というより吉田松陰はあの時代にかなり早い段階で現実と向き合った人だろ。

52: 2010/12/10(金) 01:58:21 .net
松陰がやった事って何?

54: 2010/12/10(金) 08:21:53 .net
>>52
幕末、長州萩で若者を教える私塾の先生をやっていた。
その生徒が幕末に活躍したので、先生も偉かったとなった。
h ttp://www.yoshida-shoin.com/

生徒に偉いのが出ると先生も偉いとなる例は多い。
手足が不自由でも教えることはできる。手足が自由なら
やって見せることもできる。

比叡山の円仁も「大師」になったが、その繋がりで祖師の
最澄も「大師」になった。

53: 2010/12/10(金) 08:07:46 .net
今だったらマーチ辺りに入る感じ?

55: 2010/12/10(金) 23:44:55 .net
あとは黒船来航の現場まで行って、藩に情況報告したり、
事としては目立たないけど、かなり重要なことをしている。
しかも藩命じゃなく、個人で。

それを平和な時代からの感覚で、独りよがりな男とするのは了見が浅い。
乱世はルール守っているだけでは対処できないから、乱世なのだから。

57: 2010/12/11(土) 12:28:30 .net
ふしみよーが策は現実見えてないとしか思えないが…

58: 2010/12/11(土) 13:48:32 .net
当家から吉田松陰が出たんだって爺さんが言ってたw
まぁ百合之助さんの家を言ってるんだろうが吉田家じゃないが
代々北古萩の貧乏武家で同性だから少しは関わりが有るかもしれんが


爺さんも次男坊だし確認出来ない

59: 2010/12/11(土) 23:59:02 .net
ちなみに本籍だけは北古萩

60: 2010/12/12(日) 01:46:29 .net
杉さん乙

78: 2011/03/05(土) 07:41:50.29 .net
>>60
なぜわかった?

80: 2011/03/05(土) 08:36:11.38 .net
>>78
いや、普通に考えれば杉家の係累の方でしょ?

61: 2010/12/15(水) 02:04:03 .net
事を成した人間なら日本史上に数多いるけれど、
吉田松陰ほどの純粋さを成した人間は数少ないのではないか

62: 2010/12/19(日) 09:45:59 .net
純粋さってより「行動力」と「好奇心」が共に突出している、稀有で異様な人物
本当に「自力」での異様な「行動力」・異様な「好奇心」、どちらかの一方持ってるだけでも稀有だとは思う
今なら政治家兼研究者兼教職者兼テロ主導者兼、思想家って所だし

変人には違いない

63: 2011/01/03(月) 16:17:25 .net
それでいて童◯

64: 2011/01/03(月) 20:58:16 .net
松陰と野山獄で親しくなり松下村塾で教師をしていた富永有隣は
維新後不平士族の反乱に共謀した罪でかつての教え子達に追い回されたが、
その頃しばらく土佐勤王党の生き残りに匿われていたそうだ。
江藤新平は助からなかったが、富永は生き長らえて良かったな。

65: 2011/01/04(火) 10:19:47 .net
竜馬をヤったのとか、長倉新八とか生き永らえた人っているよね。
何が分かれ目になったのか不思議。「徳」があったんかな。

66: 2011/02/09(水) 08:37:42 .net
聞かれても無い、いらんことをペラペラ喋ってしまう人だからなぁ

木戸孝允や久坂玄瑞らはこのおっさんが何か勝手なことを
やらかさないかいつもヒヤヒヤしてたと思うぞ

67: 2011/02/09(水) 11:50:20 .net
松陰は20代

68: 2011/02/09(水) 23:40:08 .net
アメリカへの密航が失敗して捕まったって人が多いけど、
旅籠の無銭飲食とかで逮捕状出てたのを失敗して絶望してた松陰が出頭。
勘違いしてべらべら余計な事しゃべったから罪が無銭飲食から密航になって、
井伊直弼に処刑されたんだろ。
歴史って面白いな。
井伊直弼も牛タンの味噌漬けを水戸の殿様にあげなかったのが本で暗◯されるとかホントバカくさいよね。

69: 2011/02/10(木) 02:46:44 .net
>>68
松蔭が処刑されたのは密航じゃないだろうが

71: 2011/02/11(金) 22:34:59 .net
>>68
処刑と密航は全く関係ありません

76: 2011/03/03(木) 21:42:12.44 .net
松陰って過大評価されすぎというか、変というか。

吉田松陰密航ってどうみても 松陰側が悪いというか、先方に狙撃されて
海の藻屑とならなくて良かったねとしかいえんのだが。。。

深夜2時にごろに密航(?)の為刀を持った二人組の男が近づいてきたら
当然のごとく警戒するだろうし、夜襲と思われても仕方がないし。

その後の松陰の逆恨み的な倒幕思想を見るかぎりそうとう狂っているとは
思うのだが。

77: 2011/03/05(土) 02:36:00.36 .net
>>76確か密航する前に関係者に手紙渡してたみたいです。
あと、ペリー自身もその時のことを語った記録があるらしいです。
好奇心旺盛な民族が生まれたこの国の前途はなんと有望なことかって。

むしろ過小評価と僕は思うけどな、一つの宗教となって世界中に信者がいてもおかしくないと思う。

79: 2011/03/05(土) 08:14:24.67 .net
松陰先生に同行した従者の方が悲惨だろ・・・

81: 2011/03/05(土) 18:35:42.66 .net
周りの迷惑を考えない人ではある
もう少し長生きすればテロリストになってたかも

88: 2011/04/09(土) 00:51:37.01 .net
吉田松陰の辞世の句と土方歳三の辞世の句って似てるよね

89: 2011/04/09(土) 06:02:45.08 .net
どれのこと? 松蔭の辞世は多すぎて

90: 2011/04/09(土) 07:54:39.29 .net
身はたとえ・・・のことを言っているんじゃない?

辞世の句ってなんかパターンがある気がしないでもない。
どっちが先かは調べてないが、
大内義隆
討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観
三浦義同(道寸)
うつものもうたれるものもかわらけよ くだけてあとはもとのつちくれ

大内義隆の方の下の句の漢文は原作があって、蓮如のご文章にも趣旨が
引用されている(と見たことがある)。

91: 2011/04/09(土) 10:46:23.50 .net
ちょいと気になったのでぐぐってみたら、更にあった。
後醍醐天皇
身はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思う

93: 2011/04/28(木) 10:10:39.67 .net
一人称は僕

102: 2011/07/16(土) 16:39:56.39 .net
松下政経塾の塾生はみんな何かが欠けているようだね。それは何かと
尋ねたら。。。。

103: 2011/07/18(月) 03:26:50.63 .net
松陰は女のように優しく、反面情熱的な人間だった。彼は30年という短い生涯の中で
多くの人間をその情熱で突き動かした。幼いころ彼は神童と呼ばれており、
10歳で藩校明倫館の兵学師範として教壇に立った。その賢さを支えたのは、
読書の量だと言われている。松陰は、密航の罪で投獄されている間も読書をしており、
投獄期間の1年でおよそ600冊の本を読んだと言われている。
 松陰の開いた塾として、松下村塾が有名なのは言うまでもない。その門徒は90名程度
と、私塾の中では門徒が少ない方であった。松下村塾の特徴は、学費がないこと、
入門の身分が定められていないこと、教科書や時間割がないことなどが挙げられる。

104: 2011/07/18(月) 05:24:02.68 .net
しかも生徒全員が思想家になったわけでもないんだよね。
特に塾を開いた当初はその辺の子に手習いを教えてただけだったし。

そのうち、元々国事に関心のある若いのが集まってきて、思想家の養成所
みたいになっちゃったわけだけど。

「その辺の子が松蔭に啓発されて志士になった」的な解説は間違いだと思う。
少なくとも、何かをしなければいけない、と思ってる連中が、脱藩したり、
黒船に密航しようとしたりした、先輩活動家の松蔭の元に集まった、って
事だと思う。

105: 2011/07/21(木) 11:10:19.53 .net
13歳くらいで大人に教えてたというから凄いな。彼がいなければ伊藤博文とかもなかった。

106: 2011/07/23(土) 04:17:11.67 .net
その少年は爆弾発言・行動で大人たちどころか藩をも危険に晒すバカであった
アイツは氏ぬ運命だったんだよw

107: 2011/08/08(月) 13:18:25.76 .net
松陰が高く評価した入江九一の死に様って、wikipediaでは銃撃されて負傷、切腹になってるけど
司馬遼太郎の小説などでは顔面に槍を食らって即死になってるんだが、どっちが正しいの?

108: 2011/08/10(水) 15:13:50.83 .net
>>107
その場に居合わせたヤツの証言では目を槍で刺されて後自刃だな
介錯断られてすぐ脱出したから腹を切るとこまでは見てないようだが

110: 2011/10/13(木) 11:48:44.97 .net
今年の夏に萩に行ったけど、古地図のまんま地形変わって無さ過ぎだろ

111: 2011/10/13(木) 18:02:37.75 .net
地形? 山を崩すとか海を埋め立てるとかないナ。
しかし萩駅から東萩駅を繋ぐ道路は整備されつつあるし
西の玉江の山の方から萩駅の近くへの道路建設は進んで
いる。また萩市自体は町村合併で広大になった。貧乏は
変わらないが。
古地図といえば明治の元勲たちが通よった弘法寺前近辺
に昔のハナヤギはない。側の大衆食堂で昼飯などを食え
ば川向うに葬祭屋のホールが見えて想い出に耽るばかり。

113: 2011/10/19(水) 08:56:59.45 .net
>>111
そうそう、お城からの海岸線とか、山の形とかね
あと道路も整備されていても、道の筋自体は増えたり減ったりして無いし
外堀?の道路がきれいに整備されていたが、あれが堀だったと名残もあるし

基本、空襲で丸焼けになった都市と違って
お寺やらは当時の場所に、古地図の当時の名前で残ってるし目印に出来る
萩は町を古地図頼りでもスマフォのナビ並に散策することができるね

114: 2011/10/28(金) 04:03:36.00 .net
29歳で死去って…
60~70代の爺ちゃんと思いこんでたww

115: 2011/10/28(金) 08:25:58.69 .net
しかし今の29の人が「講孟余話」を読んでも理解できんだろう。

116: 2011/10/28(金) 08:56:46.74 .net
吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫) [文庫] は、どーよ。

117: 2011/10/30(日) 12:51:22.87 .net
皇国史観の原点

118: 2011/10/30(日) 23:55:58.34 .net
皇国史観は松陰の専売ではない。言いだしっぺはもっと古い。

130: 2012/07/29(日) 08:01:01.12 .net
松陰【憂国】から【改革】へ
命を懸けた行動に追いやったモノは松陰の中の「愛国心」であった。
事破れて獄中の人となった松陰の中の「愛国心」と「危機感」は、行動を断ち切られたとき、ますます熾烈になっていった。
http://www.togyo.net/meigen/19.html

131: 2012/07/29(日) 09:24:31.75 .net
>事破れて獄中の人となった松陰の中の「愛国心」と「危機感」は、行動を断ち切られたとき、ますます熾烈になっていった。

間寛平と同じく止まると死ぬ人だったから、獄中でも暴れまわったのだろう。

137: 2013/01/08(火) 08:57:46.00 .net
薩の西郷、長の松蔭

138: 2013/01/13(日) 15:26:18.28 .net
違う、肥前の神陽先生やろ。
薩はせいぜい伊知治w

142: 2013/04/19(金) 22:50:50.74 .net
もしも松蔭が進歩的または民主的な思想の持ち主だったら
その後の日本の歴史も少しは違ってたんだろうがなあ

146: 2013/05/28(火) 18:04:46.41 .net
>>142
進歩的とか松蔭に時空を越えろと言ってるわけかw

159: 2013/11/25(月) 02:05:36.15 .net
>>142 当時としてはかなり進歩的で民主的だったのでは?

147: 2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN .net
教育者としては申し分ないがのに、なぜあんな無鉄砲だったんだろう

148: 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN .net
だから陽明学の徒はアカンのよ。
松陰しかり、西郷隆盛に三島由紀夫しかり。
高杉はあれでいてちょっと違うからね。

149: 2013/10/02(水) 10:12:08.04 .net
死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

164: 2014/01/02(木) 21:03:50.11 .net
山口県民は吉田松陰と呼び捨てにはしません。
必ず吉田松陰先生と呼びます。

167: 2014/01/03(金) 08:22:10.35 .net
明治になって松陰先生の妹さんにインタビューした話が出版されていて
ネットでも出てくるが、それを見ると女はもとより、酒やたばこにも手
を出したことはないみたい。ひたすら公に身を挺するのみ。公の概念が
今とは違うが。

168: 2014/01/10(金) 12:55:34.70 .net
獄中で出会った高須久子という12歳年上の未亡人との
ラブロマンスがあった?とも言うけどねえ
獄中で久子と松陰が詠みあった相聞歌が残ってるんだよね
肉体関係はなかったと思うけど

143: 2013/04/23(火) 15:22:17.98 .net
松陰先生の行動力は見習うべき