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    飛鳥時代

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    1: 2016/09/28(水) 17:42:38.24 ID:CAP_USER9
    日本初の本格的な都・藤原宮跡(奈良県橿原市)で、元日朝賀で飾る幢幡(旗)を立てた柱穴が七つ見つかり、奈良文化財研究所が28日、発表した。

    続日本紀の「大宝元年(701年)の律令国家の完成を祝う儀式で7本の幢幡が立てられた」との記述と一致し、新体制をスタートさせた儀式の様子を知る大きな手掛かりとして注目される。

    七つの柱穴は、2008年度の調査で見つかった一部を含めて大極殿院南門前の広場跡で出土。
    一つの柱穴を中心に、左右対称にそれぞれ三角を形作る配置で柱穴が三つずつ確認された。

    研究所によると、幢幡の遺構としては最古。

    ソース/中日新聞社
    http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016092801001384.html
    ダウンロード (10)


    引用元: 【歴史】藤原宮に701年の朝賀跡 続日本紀の記述と一致 [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: 2015/02/04(水) 15:16:17.47 ID:???*.net
    大化改新の詔の「幻の単位」記す木簡 難波宮跡近くで出土
    【日本経済新聞】 2015/2/3 22:39

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    大阪市の難波宮跡近くで、地方の行政単位「五十戸」を記した木簡が出土し、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が3日までに明らかにした。

    日本書紀には、難波宮に遷都した孝徳天皇が、646年に出した大化改新の詔の一つに「役所に仕える仕丁は五十戸ごとに1人徴発せよ」とある。しかし、五十戸と記した史料は、現在のところ天智天皇の時代の660年代のものが最古で、改新の詔の内容を疑問視する考えもある。

    同研究所の高橋工調査課長は「木簡は書式が古く、孝徳天皇の時代にさかのぼる可能性があり、このころに『五十戸』があった証拠になるかもしれない」としている。

    続きはソースで

    〔共同〕
    ソース: http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H86_T00C15A2CR8000/

    関連ソース:
    大阪・難波宮跡に「五十戸」木簡 大化の改新後の行政単位 | 共同通信
    http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015020301001896.html

    画像
    http://img.47news.jp/PN/201502/PN2015020301001919.-.-.CI0003.jpg

    引用元: 【考古学】大阪・難波宮跡近くで「五十戸」木簡出土、大化の改新後の行政単位 [15/02/03]

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    1: 2015/02/05(木) 22:38:24.27 ID:???*.net
    飛鳥寺西方遺跡:飛鳥時代の建物跡 壬申の乱の陣営か
    【毎日新聞】 2015/02/05 21:21(最終更新 02/05 21:52)

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    大化の改新前に中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(つき)の木の広場」と考えられている飛鳥寺西方遺跡(奈良県明日香村)で、飛鳥時代の建物跡が初めて見つかり、明日香村教委が5日発表した。
    簡易な構造から仮設の建物だったとみられ、日本書紀に記述がある「壬申の乱」(672年)の陣営だった可能性もあるという。

    村教委によると、国内最古の本格的寺院・飛鳥寺の約80メートル西側で建物跡2棟分の柱穴が見つかった。
    南北の幅は2棟とも4.8メートル、東西に伸びる長辺は16.7メートルと17.5メートル。2棟は約6メートル離れて、東西に並んで配置されていた。2013年の調査で2棟の南側長辺の柱穴だけが見つかっていたが、一列だったため塀の跡とも考えられていた。

    穴の形や間隔にはばらつきがあり、村教委は「一時的に造られた仮設の建物と考えられる」と推測する。柱穴は焼けた赤っぽい土で埋まっていた。

    続きはソースで

    【矢追健介】

    ソース: http://mainichi.jp/feature/news/20150206k0000m040131000c.html
    画像: http://mainichi.jp/graph/2015/02/06//20150206k0000m040131000c/image/001.jpg
     (飛鳥寺周辺の地図)

    関連ソース:
    大化改新生んだ広場に建物 | 産経ニュース
    http://www.sankei.com/photo/story/news/150205/sty1502050009-n1.html
    http://www.sankei.com/photo/images/news/150205/sty1502050009-p1.jpg 

    引用元: 【考古学】飛鳥寺西方遺跡で飛鳥時代の建物跡、壬申の乱の陣営か - 奈良・明日香村 [15/02/05]

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    1: 2015/01/23(金) 21:08:41.23 ID:???.net
    輝く黄金の19文字、1400年ぶりに露出 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00010003-nishinp-sctch&pos=4


     福岡市は22日、同市西区の元岡古墳群で出土した鉄製大刀(全長75センチ)から、西暦570年を意味する「庚寅(こういん)」の文字など金象眼が施された19文字全ての露出に成功したと発表した。文字は4~6ミリ四方で、全ての文字に95%前後の高純度の金が使われていたことも判明。1400年以上前に刻まれた黄金の文字が鮮やかによみがえった。

     19文字は「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」。未判別の最後の文字は「練」の可能性が高く、庚寅の年の正月6日に作ったことや、何度も鍛えられた上質な刀だと記しているとみられるという。

     大刀は2011年9月に出土。国内で暦が使われた最古の例で、古墳から出土し金象眼が確認された大刀は、全国に3例しかない。市は13年11月から、刀を覆ったさびを手作業で落とす作業を続けてきた。
     調査指導委員会委員の坂上康俊九州大教授(日本古代史)は「楷書の毛筆を忠実に写そうという強い意識を感じる文字もあり、美的センスが高い」と評価。同委員長の西山要一奈良大教授(保存科学)は「国宝級の価値がある」と話した。

     大刀は23日から3月31日まで、同市博多区井相田の市埋蔵文化財センターで展示される。

    画像
    http://amd.c.yimg.jp/amd/20150123-00010003-nishinp-000-1-view.jpg
    金象眼がよみがえった「庚寅」の文字

    引用元: 【考古学】輝く黄金の19文字、1400年ぶりに露出 ―元岡古墳群で出土した鉄製大刀

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    1: 2015/01/16(金) 07:57:52.03 ID:???.net
    舒明天皇の初葬地か=国内最大級の方墳発見―石積み、堀出土・奈良 (時事通信) - Yahoo!ニュース
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150115-00000126-jij-soci


     奈良県立橿原考古学研究所は15日、同県明日香村で、天皇か大豪族クラスの古墳の一部とみられる石積みと堀が見つかったと発表した。
    7世紀中頃の方墳と推定され、墳丘は一辺50メートル以上。石舞台古墳(7世紀前半、同村)を超える国内最大級の方墳とみられる。同研究所は規模などから、中大兄皇子(天智天皇)の父、舒明天皇が最初に葬られた墓の可能性が高いとしている。

     舒明天皇は没後、最初に葬られた場所から同県桜井市の段ノ塚古墳に改葬されたとされる。同研究所の菅谷文則所長は「(改葬後に)元の場所がどうなったか、解明の端緒になる」と話している。
     同研究所によると、見つかった古墳は四角形と推定され、墳丘下部とみられる石積みが10段(高さ計約60センチ)と、堀の跡が確認された。

    堀は幅が約3メートル90センチで、底部に石が敷かれていた。
     墳丘の反対側の堀の斜面には多数の石が貼り付けられ、発掘された分だけで高さが11個分(約1メートル)あった。墳丘と堀は、場所によって異なる種類の石材が丁寧に使い分けられていた。石室は見つかっていない。 

    引用元: 【考古学】舒明天皇の初葬地か=国内最大級の方墳発見―石積み、堀出土・奈良

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