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    平成時代

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    1: 2014/11/29(土) 12:05:30.19 ID:???0.net
    12月23日に81歳を迎える今上天皇は、かねてよりご自身の陵墓案など「その日」を視野に入れた活動をされてきた。
    だが皇族の身分を規定する『皇室典範』には、代替わりについての大きな穴があった-。

    ■「皇太弟」に「皇太甥」
    「えっ、そうなんですか?皇太子という存在は必ずいるものだと思ってました。皇太子がいない状況というのは、神話とかそのあとの時代ぐらいなのかと」(漫画家・倉田真由美氏)
    おそらく大多数の人が倉田氏と同じ思いを抱くだろう。今上天皇が代替わりし、現皇太子の浩宮徳仁親王が皇位に就いたとき、皇室には「次の天皇(皇嗣)」たる権利を持つ「皇太子」がいなくなってしまうのだ。
    そんな話があるか、秋篠宮文仁親王も悠仁親王もいらっしゃるではないかという反論が返ってくるだろう。
    確かに皇位継承権を持つ皇族男子は存在する。けれども、お二人は「皇太子」にはなれない。『皇室典範』が定めている皇太子の条件に合致しないからだ。

    皇室典範が定める皇太子の定義にはこうある。
    〈第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という〉
    ここに出てくる「皇子」とは、天皇の息子を意味する。だから現在、皇太子の地位には、今上天皇の長子である浩宮がついている。
    では、浩宮が即位して天皇となった場合はどうなるのか。浩宮には娘(愛子内親王)はいるが、息子(皇子)はいない。
    皇室典範第一条には〈皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する〉とあるので、息子がいない以上、「男系男子」の孫(皇太孫)も当然いない。
    「現皇太子が即位した時点で、皇位第一継承者は弟宮の秋篠宮文仁親王になります。ただ、秋篠宮は『皇嗣たる皇子』ではないから、皇太子にはなりません。歴史上の表記でいえば、〝皇太弟〟ということになる。悠仁親王はどうか。
    たとえば、父である秋篠宮が兄の天皇より先に亡くなった場合、悠仁親王が皇位第一継承者になるわけですが、悠仁親王は皇太孫ではなく、天皇の甥なので、やはり皇太子にはなりません」(ノンフィクション作家・保阪正康氏)

    皇太子不在を、それほど問題にする必要はないという意見もある。近現代史研究家の浅見雅男氏は言う。
    「歴代の天皇家において、皇太子が空位だったことは決して珍しいことではありません。皇室典範が穴だらけなのはそのとおりですが、むしろそれによって皇位継承は、昔から融通無碍におこなわれてきた。世継ぎの方に対して、皇太子という呼び方を絶対にしなければいけないという決まり自体がないのです。
    もし、浩宮在位中に悠仁親王が皇位継承第一位になった場合は、『皇太甥』とするのが、一番自然ということになるでしょう」
    今の世に皇太甥と書いて「こうたいせい」と読める人がはたしてどれだけいるだろうか-。

    ■「東宮職」もなくなる
    皇室ジャーナリストの山下晋司氏が語る。
    「皇太子がいなくなれば、宮内庁法第六条によって〈皇太子に関する事務をつかさどる〉とされる『東宮職』がなくなります。
    東宮職は、現在約50名。ほかに料理人や運転手などの管理部の職員もあわせると六十数名の居場所がなくなります。
    解雇できませんので人事異動で対応するしかありませんが、それだけの人数を異動させるとなると大変です。宮内庁には頭の痛い問題でしょう」

    皇太子としての公務を誰が担うのか、という問題も、当然出てくる。
    「皇太子殿下が即位されれば、皇位継承順位第一位の秋篠宮殿下が、今の皇太子殿下の職務を引き継がれるでしょう。
    そうすると、宮家皇族としてこれまで秋篠宮殿下がやってこられた公務はどうなるのかという問題が出てきます。
    外国交際の面でも、悩ましい問題が生まれるでしょう。事実上の皇太子ではあるが、法的には一宮家の親王という場合、外国に対してクラウンプリンス(皇太子)という言葉を使うのか、それともただのプリンスとするのか。当然、次期皇位継承者ということでクラウンプリンスとして活動していただいたほうが日本の国益にはなるでしょう。国内と海外で使い分けをするという可能性もあります」(前出・山下氏)
    東宮家と宮家では、公的な活動の内容も大きく違ってくる。宮家皇族は公益法人など各種団体の名誉職に就いて活動できるが、皇太子・皇太子妃は、天皇・皇后と一緒で、原則的には団体の名誉総裁には就かない。秋篠宮は、現在、世界自然保護基金ジャパン名誉総裁や日蘭協会名誉総裁など多くの名誉職に就いているが、皇太子の職務を引き継いだ場合、これら名誉職や、その活動はどうするのかもはっきりしない。実際問題として、宮家皇族としての公務と皇太子の公務を兼任するというのは難しいだろう。



    >>2

    http://news.livedoor.com/article/detail/9515835/
    宮内庁が密かに頭を悩ます 浩宮が即位したら、「皇太子」がいなくなる 秋篠宮も愛子さまも悠仁さまも、皇太子にはなれない

    引用元: 【皇室】宮内庁が密かに頭を悩ます 浩宮が即位したら、「皇太子」がいなくなる・・・秋篠宮も愛子さまも悠仁さまも、皇太子にはなれない

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    1: 2014/11/16(日) 15:46:54.28 ID:???0.net
    織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず

    日本一有名な武将・織田信長。代々子孫の名前には“信"の文字が使われてきたが、次世代の当主でその伝統が途切れるという。いったいなぜ「信」を使わなかったのか。その理由を織田家第18代当主・織田信孝(のぶたか)氏が明かす。

    1986年に父が亡くなり、織田家の当主になりました。当主としてお参りするのは、信長がまつられている京都市北区・船岡山の建勲(けんくん)神社です。毎年10月19日の大祭に参列しています。ここは明治天皇が「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」と考えて建てたそうです。

    信長のお墓は本能寺など全国各地に10カ所以上ありますが、その一つが船岡山を下ったところにある大徳寺総見院(京都市北区)です。本能寺の変の後で秀吉が信長の葬儀をしたお寺ですが、普段は入れない。それが10月のその時期はちょうど公開しているので、建勲神社の大祭とあわせてお参りしています。

    柏原(かいばら)藩に移った6代・信休(のぶやす)から14代・信民(のぶたみ)までの藩主とその夫人のお墓は、兵庫県丹波市の柏原町にあります。織田家は、明治維新のときに東京へ移り住み、今は柏原に屋敷はありません。ただ、お墓がある廟所(びょうしょ)は織田家の所有になっていて、ときどきお参りしています。廟所はテニスコートくらいの広さがありますが、これが最近の悩みの種。

    というのも、廟所を囲む土塀の傷みがひどくなったから。取り壊すだけでも数百万円かかる。歴史のある家ならではの悩みでしょう。

    僕が結婚したのは、父が亡くなって9年後でした。披露宴は東京でしたが、結婚式を挙げたのは、福井県の織田(おた)町(現在は越前町織田)というところです。もともと織田氏はこの地から出たと言われています。織田町には剣(つるぎ)神社という大きな神社がありますが、織田氏は代々ここの神官をしていたらしい。やがて、越前の守護・斯波(しば)氏に見いだされ、家臣として尾張に送り込まれたそうです。剣神社は、信長が氏神としていた神社でもあります。

    自分の家のルーツを知りたい気持ちもあって、妻と2人だけで行って、剣神社で結婚式を挙げました。

    僕ら夫婦には、男の子が2人います。でも、名前には2人とも「信」の字を入れていません。信長よりも前の世代から、うちでは代々、男の子に信がついています。僕は400年以上の伝統を破ったことになる(笑)。

    子どもの名前を決めるときに面白かったのは、家族からはほとんど反対されなかったのに、友人や知人のなかには「なんでそんなことするの」と反対する人が多かったこと。でも母に、「父が生きていたら反対したかな」ときいてみたら、「あの人は絶対にそんなことに反対しない」と言いましたね。父は外資系企業の重役だった人で、考え方は非常に合理的でしたから。

    名字が織田で、名前に信がついていれば、信長の血筋だということは察しがついてしまうでしょう。僕は子どものころから、それがたまらなく嫌でした。

    初対面の人が僕の出自を知ると、「すごいですね」とよく言います。ぜんぜんすごくないですよ。すごいのは信長で、僕が天下統一のお手伝いをしたわけじゃない(笑)。自分が、本質ではなく、血筋や出身校などの属性で判断されてしまうのは悲しい。そんなこともあって、自分の子どもは個人として生きやすくしてあげたかったのです。

    http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9473172/

    ★1の立った日時:2014/11/16(日) 10:49:10.39
    前スレ http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1416102550

    引用元: 【国内】織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず ★2

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    1: 2014/10/24(金) 13:59:31.56 ID:???0.net
    http://www.yomiuri.co.jp/national/20141024-OYT1T50064.html
    太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で収集された旧日本兵の遺骨を乗せた海上自衛隊の自衛艦が24日、東京・晴海ふ頭に到着した。

    海外から日本に遺骨を運ぶのに、自衛隊が協力するのは初めて。
    海外で戦没した約240万人のうち、約113万柱が未帰還とされており、政府は来年の終戦70年を前に遺骨収集を加速させる。

    遺骨を運んだのは、海自の練習艦「かしま」。隊員は、白い布に包まれた箱に納められた137柱の遺骨を胸に抱え、「かしま」のタラップを下りた。厚生労働省は身元の特定を進め、遺族に引き渡したい考えだ。

    終戦70年を前に政府は遺骨収集を強化する方針を示しており、ガダルカナル島にも9月に派遣団を送って遺骨を収集。若手幹部の遠洋練習航海で9月に同島に入港していた「かしま」に運んでもらうことにした。
    【関連記事】
    激戦地ガダルカナル島の遺骨 艦艇で祖国へ 海自が初協力



    引用元: 【社会】ガダルカナルから旧日本兵遺骨帰国…海自艦到着

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    1: 2014/10/25(土) 07:50:41.23 ID:???0.net BE:348439423-PLT(13557)
    シンガポール華字紙・聯合早報(電子版)はこのほど、「日本はアジア征服の夢をあきらめていない、中国は万全の準備をすべし」
    と主張する記事を掲載した。以下はその概要。

    日本は数百年にわたってアジア(東アジア)大陸征服を目標に、他国への侵略を続けてきた。徳川幕府末期には海外雄飛論が登場。
    当時の儒学者や国学者、洋学者も立場は違うがこぞって海外拡張思想を説いた。海外とはつまり中国と朝鮮を意味する。

    *+*+ レコードチャイナ +*+*
    http://www.recordchina.co.jp/a96194.html

    引用元: 【社会】日本はアジア征服の夢をあきらめていない!中国は万全の準備を

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    1: 2014/09/17(水) 20:27:42.52 ID:???0.net
    政府が検討を16日に正式発表した天皇、皇后両陛下のパラオご訪問。
    戦没者慰霊のお気持ちを身をもってあらわし続ける両陛下にとり、先の大戦中、故郷を遠く離れて1万人以上の日本軍が犠牲になった同国での慰霊は長年、願われてきたことだった。

    広島と長崎の原爆の日、沖縄戦終結の日、終戦の日。
    天皇陛下はこれらを、日本人が忘れてはならない日とされている。戦後50年の平成7年には、皇后さまとともに広島、長崎、沖縄と東京大空襲の地を訪ねる「慰霊の旅」を行われた。

    外地で命を落とした人々にもそのお気持ちは向けられてきた。戦後60年にあたる平成17年6月、米自治領サイパンを訪ね、多くの日本人が命を絶った「バンザイクリフ」で黙祷(もくとう)をささげられた。

    第一次大戦後、南洋諸島の国々が日本の委任統治領となり、「南洋庁」が置かれた。激しい戦火に見舞われ、移住した民間人や日本軍が犠牲になった。
    サイパンやパラオもそうした地。今も日系人が多いという。

    特にパラオのペリリュー島は昭和19年9月、多数上陸した米軍に対し日本軍は当初、玉砕を禁じたことで、十分な補給がないなか2カ月以上にわたる持久戦となり、餓死者も出た。
    最終的には突撃して玉砕した悲惨な戦いを知る生存者はわずかで“忘れられた戦い”ともいわれる。

    「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」

    陛下がサイパンへの出発前に空港で語られたお言葉だ。
    昨年12月の80歳のお誕生日を前にした記者会見では、80年で特に印象に残っている出来事を「先の戦争のこと」と話された。
    両陛下はいまも、戦争の記憶を持ち続け、平和を願われている。



    産経新聞 9月17日 7時55分配信
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00000063-san-soci

    引用元: 【国内】ご慰霊の旅、長年願い 天皇皇后両陛下、パラオご訪問実現へ

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