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    地域・郷土

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    1: 2016/05/15(日) 23:10:50.08 ID:CAP_USER
     幕末の「禁門の変」(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の舞台となった京都御苑の「蛤御門」(京都市上京区)の名前の由来を巡り、京都産業大特別客員研究員の長谷桂さん(38)が定説を覆す資料を見つけた。これまでは宝永の大火(1708年)の際に開門された様子を、焼けて口を開けるハマグリにたとえて命名されたとの説が有力だったが、更に以前から「蛤」が使われていた可能性があるという。【宮川佐知子】

     蛤御門はもともと「新在家御門」などと呼ばれていた。開かずの門だったが、江戸時代の大火で逃げ惑う京の民を避難させるため開放されたと伝えられてきた。

    続きはソースで

    http://mainichi.jp/articles/20160515/k00/00e/040/180000c
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    引用元: 【歴史】「蛤御門」名前の由来に「待った」新資料発見©2ch.net

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    1: 2016/06/02(木) 12:47:53.22 ID:CAP_USER9
    高松城復元で懸賞金3千万円

    http://www.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8035726921.html?t=1464838891000
    ※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

    国の史跡に指定されている高松城跡の天守の復元を目指している高松市は天守の内部が分かる写真や図面などが提供された場合に総額3000万円の懸賞金を出すことになりました。

    高松城は堀に海水を引き入れた水城として知られ、その天守は四国の城で最も大きかったとされていますが老朽化のために明治17年に取り壊されました。
    高松市では、天守の復元を目指して資料の収集にあたっていますが外観を撮影した写真などは見つかっているものの天守内部の状態を明らかにする写真や図面などは見つかっておらず、復元について文化庁の許可が得られない状況になっています。

    このため、高松市では、天守の復元に必要な内部の状態が分かる写真や図面を提供した人に対して総額3000万円の懸賞金を支払うことにして今月9日に始まる6月市議会に提出する補正予算案に盛り込みました。

    写真や図面の募集は6年後の平成34年3月まで続け複数の情報があった場合には資料としての価値を判断して懸賞金を分配するということです。

    これについて高松市の大西市長は記者会見で「高松城は市のシンボルで天守はその中心となる施設だ。
    今回多額の懸賞金を設けることで市民の関心が高まり、何らかの手がかりが見つかれば」
    と話しています。

    06月01日 19時25分
     
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    引用元: 求む! 高松城の秘密情報 懸賞金は\30000000(総額)©2ch.net

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    1: 2016/07/13(水) 04:07:25.23 ID:CAP_USER9
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/K10010592841_1607122035_1607122150_01_02.jpg

     戦国武将の真田幸村が築いたとりで、「真田丸」が取り壊されたあとの詳しい様子を描いた絵図が松江市で見つかりました。
    専門家は、「真田丸」が独立性の高い大坂城の出城だった可能性を示す資料だと注目しています。
    この絵図は、松江市にある松江歴史館の所蔵品の中から見つかりました。
    縦およそ28センチ、横40センチ余りで、真田幸村の名で知られる戦国武将の真田信繁が、大坂冬の陣で築いたとりで「真田丸」が取り壊されたあとの堀の跡や敷地の様子が描かれています。
    真田丸の南側には、惣構堀という外側の堀が記されています。また、北側の大坂城に近い場所には真田丸の出丸として小さなとりでがあったと記されています。

     松江歴史館によりますと、真田丸の姿を描いた絵図は多く残されていますが、取り壊されたあとの詳しい様子を描いたものは珍しいということです。
    資料を分析した奈良大学の千田嘉博学長は「真田丸が独立性の高い出城だった可能性を示す貴重な資料だ」と指摘しています。この絵図は、ことし9月から松江歴史館で公開されます。

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/k10010592841000.html
    (7月12日 21時51分)

    ダウンロード
     

    引用元: 【社会】真田幸村が築いたとりで「真田丸」出城の可能性示す絵図見つかる©2ch.net

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    1: 2016/05/01(日) 09:54:54.35 ID:CAP_USER*
    国宝・松江城「天守雛形」の謎…国内最古説も製作年不明、現天守と異なる細部 市が本格調査へ

    http://www.sankei.com/west/news/161221/wst1612210004-n1.html
     国宝松江城天守の柱や梁(はり)などの内部構造を精巧に再現している模型「松江城天守雛形(ひながた)」。
    天守の歴史を知るための貴重な資料だとして松江市指定文化財となっているが、江戸時代・寛永期の作とされてきた従来の見解が近年揺らぐなど、謎の部分も多い。
    このため、市松江城調査研究室は今年度以降、模型の本格調査に乗り出す考えだ。

    完成後30年で改修?

     天守の模型は、大規模改修などに先立って製作されるケースが多い。
    松江城天守雛型の場合は、1638(寛永15)年に松江藩主となった松平直政に従って国入りしたお抱え大工頭が、「天守が1メートル程度傾いている」と直政に申し出て、修理を命じられた際に作ったとされている。

     この根拠となったのが、幕末に家臣が記した「藩租御事蹟(ごじせき)」という書物の記述とされる。
    「これが本当なら、1611(慶長16)年の天守完成からわずか30年ほどで、大改修の必要に迫られたことになる」と松江城調査研究室。

     だが、寛永期に天守が改修された史実は見当たらない。
    修理記録や部材の墨書などから確認できるのは、1676(延宝4)年に行われた天守付櫓(つけやぐら)の装飾「懸魚鰭(げぎょひれ)」の修復。
    その後の1700年代以降は天守がたびたび改修されたようだ。

    続きはソースで

    産経WEST:2016.5.1 09:00 
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    引用元: 【文化/歴史】 国宝・松江城「天守雛形」の謎 国内最古説あるも製作年不明 現天守と異なる細部 市が本格調査へ©2ch.net

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    1: 2015/05/27(水) 15:10:14.55 ID:???*.net
    台湾鉄路の関山旧駅(台東県関山鎮)前にある、日本統治時代の1940(昭和15)年に建てられた旅館「嘉賓旅社」が現在、道路拡張工事により取り壊しの危機に直面している。

    ダウンロード (2)


    家主や地元関係者などが保存を呼びかけており、鎮側は検討を行うとしている。

    先日開かれた公聴会で家主は、旅館は同地の発展の歴史を知る建物であり、何代にもわたる人々の記憶が詰まっていると述べ、「取り壊してしまったらすべてが失われ、再び戻ってくることはない」と保存を訴えた。
    また、地元民からは旅館を観光資源として再利用するべきだとの意見も出た。

    道路の拡張工事は1981年に発表されたものの、予算不足により見送られていた。

    続きはソースで

    http://www.excite.co.jp/News/world_g/20150527/Jpcna_CNA_20150527_201505270003.html

    画像
    http://s.eximg.jp/exnews/feed/Jpcna/Jpcna_CNA_20150527_201505270003_1.jpg

    引用元: 【海外】日本統治時代の旅館が取り壊しの危機…台湾の地元関係者らが保存を呼びかけ

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