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    京都

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    1: 2016/05/10(火) 18:50:03.72 ID:CAP_USER*
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/K10010515201_1605101730_1605101732_01_02.jpg

    龍馬の刀と「確認」暗◯時も手元にあったか

    5月10日 17時32分

    幕末の志士、坂本龍馬が亡くなってから来年で150年になります。京都の博物館に所蔵されている刀が、龍馬が暗◯された際に手元に置いていた刀だった可能性が高いことが最新の研究で分かりました。
    これは京都国立博物館などが10日に会見を開いて発表したものです。
    京都国立博物館に所蔵されている刀は、昭和の初めごろに龍馬の遺品として坂本家から寄贈されたものですが、刀の特徴が龍馬が使っていた「吉行」銘の刀と異なっていたことから、実際に龍馬の刀かどうかはよく分かっていませんでした。

    これについて、京都国立博物館が最新の撮影機器で調査した結果、刃の部分に龍馬の刀に特徴的な模様が僅かに残されているのが確認できたということです。さらに、去年、刀が寄贈された当時の資料が見つかり、その中に火災のため刃を研ぎ直したと記録されていたということで、このため、本来の特徴が分かりにくくなったとみられるということです。

    このため、博物館では、この刀が龍馬が京都にいた当時、愛用していたもので、暗◯された際に手元に置いていた可能性が高いとしています。
    京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の刀だと確認できたことは龍馬ファンにとってうれしい発見だと思う」と話していました。
    この刀は、ことし10月から京都など全国4か所で開かれる龍馬の特別展で公開される予定です。

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/k10010515201000.html?utm_int=news_contents_news-main_006
    ダウンロード (3)


    引用元: 【歴史】龍馬の刀と「確認」暗殺時も手元にあったか©2ch.net

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    1: 2014/12/07(日) 15:44:59.01 ID:???0.net
    【 2014年12月07日 15時30分 】

    画像
    http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2014/12/20141207143536senso050.jpg

     戦時中にフィリピンやインドネシアなどで従軍した元陸軍軍曹の戦闘回想録が8、9両日、京都市東山区七条通本町西入ルのギャラリー集酉(ゆう)楽サカタニで展示される。
    太平洋戦争開戦から73年に合わせた企画で、戦場の生々しい様子をつづっている。
    元軍曹の遺族は「戦争とはこういうものだったと知ってもらいたい」と話す。

     記録は上京区から出征した故中野安一さん(1907~1991年)が77年に書いた。
    長さ8メートルに及ぶ巻物状で、28年から45年までの年表と41年7月以降、フィリピンとインドネシアに上陸した経緯などを記した文章からなる。

     中野さんは開戦日の41年12月8日を台湾の澎湖島を出発した船内で迎え、朝にフィリピンのルソン島に上陸した。「友軍多数負傷者や戦死者を出しました。
    私は生れて初めての飛行機からの爆撃を受け、その恐(こわ)さを十分に知りました」

     42年3月1日にはインドネシアのジャワ島エレタン海岸に上陸。
    「激戦に激戦し実に苦戦に苦戦を重ね(中略)友軍の戦死者約3分の1以上となる」
    「海岸に友軍の死骸で足のふみ場もないほどでした。実に惨憺(さんたん)たる悲惨なものでした」

    (記事の続きや関連情報はリンク先で)
    引用元:京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20141207000054

    引用元: 【歴史】 元陸軍軍曹つづった太平洋戦争 京都の遺族、8日から巻物展示 [京都新聞]

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    1: 2014/07/23(水) 07:18:50.49 ID:???0.net
    http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20140722005344_comm.jpg
    「斎藤一」とみられる名前が記された警視庁の名簿=京都市東山区の霊山歴史館

     幕末の京都を警護した「新選組」の隊士で、剣客として知られる斎藤一 (はじめ、1844~1915)とみられる名前が、明治時代初期の警視庁の名簿に見つかった。斎藤は何度も改名し、明治維新後は藤田五郎として警察官になったことが知られているが、新選組時代の名前が記された警察資料は極めて珍しいという。

     霊山(りょうぜん)歴史館(京都市東山区)が、当時警視庁に勤めていた関係者の子孫から入手した。名簿(縦24センチ、横16センチ)は二つ折りの紙11枚を冊子状にしたもので、警視庁第六方面第二署(現小松川署)の署員174人の名前が階級別に毛筆で記されていた。斎藤の名前は名簿最後の「等外一等出仕」の階級にあり、「書記兼戸口取調掛(とりしらべがかり)」という役職名もあった。

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    残り:586文字/本文:917文字 朝日新聞 渡義人
    http://www.asahi.com/articles/ASG7Q4G96G7QPTFC00K.html

    引用元: 【歴史】警視庁名簿に新選組「斎藤一」 スパイ活動を担当か

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    1: 2013/10/26(土) 00:13:49.76 .net
    正成「一旦京を捨てて京都を空っぽにします。
    兵糧から何から全て持ち去って、大軍の足利勢を京都に入れるのです。
    我々は足利の補給路を経って兵糧攻めにするのです。兵糧不足の足利は自ずと京都から去りましょう。
    そのタイミングで我々は京都を奪還するのです。」

    後醍醐「まさしげぇ!」


    さて、正成の案が通ってたら南朝はどうなっていたでしょうか。

    引用元: 楠木正成の作戦を容認していたら南朝は勝てたか

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