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    体格

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    1: 2015/02/26(木) 17:55:18.15 ID:svIbfeIm*.net
    2015年02月26日

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     1936年2月26日、「昭和維新」を旗印に陸軍の一部部隊が決起した。「2・26事件」と呼ばれる、このクーデター未遂事件を一つの契機とし、日本は軍国主義の道を突き進む。
    政府・軍部は国家総動員体制を強行し、あらゆる国民生活を困窮させた。影響は育ち盛りの子供たちの体格に象徴的に表れ、戦争が終わってみれば平均身長が戦前より最大6センチ(14歳男子)も縮んでいた。
    日本文学研究者のドナルド・キーンさん(92)は日本人の美徳の一つに「我慢強さ」を挙げ、「政府・軍部は戦争遂行に都合良く利用した」と声を強める。【高橋昌紀/デジタル報道センター】

     旧文部省の資料によると、修学期の男子・女子(6~18歳)を対象に戦後初の定期身体検査を1948年度に実施。
    14歳男子は146.0センチで、戦前最後の検査だった1939年度に比べ、6.1センチも低下していた。これは大正期のレベルという。同様の低下は全年齢層で起きており、日本の近代史上初めてのことだった。

     要因は深刻な食料不足にあった。明治期から、日本は主食であるコメを列島外に依存。日米開戦の1941年度には総需給量約1200万トンのうち、約6.6%を朝鮮・台湾、約12.2%を東南アジアなどに頼っていた。
    政府は経済統制により、この致命的な“弱点”を克服しようと計画。日中戦争の泥沼化が既に明らかだった1941年4月、コメの配給制を導入する。

     しかし、対米開戦後は連合国軍による輸送船団への攻撃激化で、海外から物資を運ぶシーレーンは壊滅。国内では▽重化学工業の軍需優先による肥料の減産▽徴兵強化による男性農業従事者の減少--などで、
    生産効率が低下していった。漁業においても、漁船の徴用や燃油不足などが影響。日本国民の食料事情は悪化するばかりだった。

     軍需を優先する戦争経済は、コメ以外でもあらゆる民需を圧迫した。モノ不足は急激なインフレーションを招く。政府の配給量では戦前の生活レベルを維持できず、闇取引が横行した。
    闇価格が上昇し、横流しなどの「国賊的行為」(検事局報告書)は頻発。農家などは政府への供出を渋った。そのために配給量の不足を招くという悪循環に陥った。

     学校では「欠食児童」が増加。弁当泥棒、畑泥棒などが相次いだ。近現代史研究家の故・鳥居民氏は子供たちのエネルギー摂取量について、戦争後期の集団疎開時で1日当たり1300~1400キロカロリーと試算。
    最低必要量の約7割にすぎなかったとみる。

     米海軍日本語将校でもあったキーンさんは東日本大震災(2011年3月11日)の際、互いに助け合う被災者の姿を見て、戦時中の日本人に通じる「我慢強さ」を感じたという。
    戦時中の政府、軍部は戦争遂行のために「『捕虜は恥』などと都合の良いうそをついた」と指摘しつつ、現代の日本国民も「理不尽に忍耐を押し付けられてはいないか」とも危惧している。

    (記事の続きや関連情報はリンク先で)
    引用元:毎日新聞 http://mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040003000c.html

    引用元: 【歴史】 戦時の食糧不足:子供の身長が6センチ縮む ―D・キーン「現代の国民も理不尽に忍耐を押し付けられてはいないか」 [毎日新聞]

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    1: 2010/11/08(月) 21:54:06 ID:LEJf1b/lO.net
    どっちが強い?

    引用元: 幕末の人と現代人が素手で喧嘩したら…

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