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    信仰

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    1: 2016/05/18(水) 21:20:05.36 ID:CAP_USER*
     日本に住み始めた当初、最も不思議だったのが宗教に関してである。

     多くの日本人と友達になったが、そのほとんどが「自分は無宗教だ」と言っているにも関わらず、ハロウィーンやクリスマスといったキリスト教の行事を楽しみ、
    正月(1月1日)には寺社へ初詣に行くことを恒例にしている人が多い。

     日本人の一生を見ても、安産、子供の成長、健康や大学合格などを祈願して神社やお寺に度々お参りする。
    一方で、結婚式は教会で行い、葬式は寺、という人が少なくない。それでもいざ「あなたの宗教は何ですか?」と聞けば、「特にないです。無宗教です」と答えるのだ。

     生まれたときからイスラーム教徒として育った自分にとって、無宗教であることも不思議であるが、それ以上に無宗教と言いながらも各宗教行事を楽しんでいるのは本当に摩訶不思議であった。
    それに少しばかり反感も感じたのである。その理由を今なら正直に言えるが、日本人が楽しむ宗教行事の中にイスラーム教の行事が含まれていないことにがっかりしたのだ。

    ●日本に来たイスラーム教徒が感じるわびしさ
     イスラーム教徒にとっての三大行事といえば、断食明け祭(※1)、犠牲祭(※2)、預言者聖誕祭(※3)である。
    この時期は親戚や友人が集まり、どの街もにぎやかになる。子供にとっても大人にとっても楽しいひと時なのだが日本では全く知られていない。
    イスラーム教徒である家族や友人が近くにいない日本在住のイスラーム教徒は、それはそれはわびしいひと時を過ごすことになるのである。

     私自身も寂しすぎるからか、冬場になると時折聞こえる焼き芋屋独特の節回しである「やーきいもぉーーやきいも」という呼び声が、アザーン(※4)に聞こえるという耳の錯聴さえ体験したものである。

     日本在住当初は、クリスマス会や正月の初詣などに誘われても、イスラーム教徒なのでと断ったりした時期もあったが、少しでも外出すれば街中が楽しそうであるから、どうしても気になってしまうのである。

     無駄な抵抗を続けていた私に、ある日、一人の日本人の友人が「いろいろな宗教行事を一緒に楽しめることが、世界の宗教摩擦を失くす一助になるんじゃないか」と言ったのである。
    目からうろこが落ちる思いであった。

    続きはソースで

    http://www.nippon.com/ja/column/g00196/  [2016.05.18]

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    引用元: 【話題】日本人は多宗教!? 「無宗教と言いながらも各宗教行事を楽しんでいるのは本当に摩訶不思議である」★4©2ch.net

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    1: 2016/10/10(月) 05:47:23.55 ID:CAP_USER9
    摠見寺三重塔
    http://best-times.jp/mwimgs/8/4/250/img_8447ec899f6eac21166d8da6a7175a351465431.png

    1579年、織田信長の命により築城された、安土城。そのわずか3年後の1582年には、焼失、落城してしまった本城ですが、実は今その跡を訪れると、そこには、信長の意外な一面を知ることのできる遺跡があるのです--。

    ■安土城跡に今も立つ、摠見寺三重塔

     安土城は、信長が1576年、重臣の丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199メートルの安土山に築城させた地下1階、地上6階建、日本初の、石垣の上に天主(天守)を持つ平山城でした。

     現在は、両側が石垣で囲まれた大手道を上りきった山頂に、人の背丈ほどの石垣に囲まれた東西約25メートル、南北約30メートルの台地に、約90個の礎石が整然と並ぶだけの天主跡があるのみです。

     さて、この大手道の石段を注意深く見ながら上がっていきますと、ところどころに石仏が敷かれていることに気づきます。

     もちろん、これらの石仏はおまいりのために置かれているのではありません。城普請に使われる木材や石材は近郊の山から採取されるのが普通ですが、信長が命じた性急な工期のために、近隣の寺の解体によって得られた木材や石材として用いられた墓石や石仏も少なくなかったのです。つまり、墓石や石仏を踏みながら大手道を上り下りした人がいたということです。

     宗教心が薄かったといわれる〝革命児〟信長ならではのことと思われますが、信長のこのような所業に畏怖した家臣や職人は少なくなかったと思われます。

     大手道とは異なる道を下りますと、石垣に囲まれた狭隘な土地に窮屈そうに建つ摠見寺三重塔に出会います。一般的にはほとんど知られていないのではないでしょうか。

    続きはソースで

    ●志村 史夫しむら ふみお

    http://best-times.jp/articles/-/3365
    ダウンロード (3)


    引用元: 【歴史】「信長は宗教心が薄かった」は本当か? 安土城には菩提寺があった©2ch.net

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