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    厚生労働省

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    1: 2015/03/25(水) 22:11:16.03 ID:???*.net
    来月、天皇訪問のパラオ・ペリリュー島の閉鎖壕を調査 未収集2600柱の遺骨発見に期待
    【産経ニュース】 2015/3/25 19:38

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    天皇、皇后両陛下が来月、太平洋戦争の戦没者慰霊で訪問されるパラオのペリリュー島で25日、入り口がふさがれていた壕が開口され、厚生労働省の職員や遺族団体の関係者らによる遺骨収集が始まった。

    作業が始まったのは、米軍が上陸したペリリュー島南西部の海岸のすぐ近くにある「イワマツ壕」。
    作業開始にはレメンゲサウ大統領も立ち会い「遺骨が故郷に戻ることで、死者の霊が安らかに眠ることができると信じているのは、日本もパラオも同じ」と述べ、遺骨収集に積極的に協力していく姿勢を示した。

    続きはソースで

    (共同)

    ソース: http://www.sankei.com/world/news/150325/wor1503250054-n1.html
    画像: http://sankei.com/images/news/150325/wor1503250054-p2.jpg
     (厚労省の職員らが参加しパラオ・ペリリュー島のイワマツ壕周辺で始まった遺骨収集作業=25日午後(共同))


    引用元: 【国際】パラオ・ペリリュー島の閉鎖壕を調査、未収集2600柱の遺骨発見に期待 [15/03/25]

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    1: 2015/03/22(日) 10:01:26.76 ID:???*.net
    太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島で、戦没者の遺骨収集を進めるため厚生労働省は24日から島に職員を派遣し、地下ごうの中に残された遺骨の調査を行うことになりました。

    no title


    太平洋の島国・パラオのペリリュー島では昭和19年、日本軍とアメリカ軍との間で激しい戦闘が行われ、日本側だけで1万人余りが亡くなりました。

    国による遺骨の収集は昭和28年から始まり、これまでにおよそ7600人の遺骨が見つかっていますが、入り口が岩などで塞がれている地下ごうについては環境保全や文化財保護の観点からパラオ政府の許可が得られず、調査が進んでいませんでした。

    続きはソースで

    ◆ソースに動画あり
    NHK NEWS WEB 3月22日 5時54分
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150322/k10010023871000.html

    引用元: 【社会】ペリリュー島の地下ごうで遺骨調査へ

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    1: 2014/12/30(火) 16:08:22.37 ID:???0.net
    先の大戦で沈んだ軍艦「多摩」の初めての慰霊祭が10月25日、東京都府中市にある大国魂神社で行われると聞いたとき、正直、意外な気がした。
    「沈没した軍艦は、関係者によって手厚く慰霊されている」と思い込んでいたからだ。

    多摩は、旧海軍の軽巡洋艦で球磨型の2番艦。大戦末期の昭和19(1944)年10月25日、フィリピン沖で米潜水艦による魚雷攻撃を受けて沈没し、440人とされる全乗組員が亡くなった。
    だが、その慰霊祭がこれまで一度も行われたことがなかったというのだ。

    意外だったことは他にもある。
    大国魂神社は「慰霊祭には少しでも多くの遺族、元乗組員ら関係者に参列してもらいたい」との思いで準備を進めたが、作業は困難を極めたそうだ。

    「遺族と連絡を取ろうにも、乗組員名簿が見つからない。防衛省や厚生労働省には名簿があるはずと考え、問い合わせてみたが、個人情報は出せないといわれてしまった」。
    このため、担当者は遺族と思われる人物を一人一人、インターネットで調べて電話をかけたり、入手可能な戦没者名簿から関係がありそうな名前を見つけては手紙を出したりと、地道な作業を続けた。
    それでも、これまでに氏名などを特定できた沈没時の乗組員は30人ほどしかいない。

    初の慰霊祭が行われた10月25日は沈没からちょうど70年。
    あまりに長い年月がたち、国のために戦って亡くなった人の記憶は薄れるばかりだ。

    続きはソースで

    (三浦恒郎)

    http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/141230/lif14123012110008-n2.html

    引用元: 【軍事】軍艦「多摩」沈没から70年で初の慰霊祭・・・姉妹艦「北上」「大井」は単独慰霊不明、「木曽」慰霊無し・・・薄れる戦争の記憶

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    1: 2014/10/24(金) 13:59:31.56 ID:???0.net
    http://www.yomiuri.co.jp/national/20141024-OYT1T50064.html
    太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で収集された旧日本兵の遺骨を乗せた海上自衛隊の自衛艦が24日、東京・晴海ふ頭に到着した。

    海外から日本に遺骨を運ぶのに、自衛隊が協力するのは初めて。
    海外で戦没した約240万人のうち、約113万柱が未帰還とされており、政府は来年の終戦70年を前に遺骨収集を加速させる。

    遺骨を運んだのは、海自の練習艦「かしま」。隊員は、白い布に包まれた箱に納められた137柱の遺骨を胸に抱え、「かしま」のタラップを下りた。厚生労働省は身元の特定を進め、遺族に引き渡したい考えだ。

    終戦70年を前に政府は遺骨収集を強化する方針を示しており、ガダルカナル島にも9月に派遣団を送って遺骨を収集。若手幹部の遠洋練習航海で9月に同島に入港していた「かしま」に運んでもらうことにした。
    【関連記事】
    激戦地ガダルカナル島の遺骨 艦艇で祖国へ 海自が初協力



    引用元: 【社会】ガダルカナルから旧日本兵遺骨帰国…海自艦到着

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    1: 2014/09/21(日) 20:05:52.85 ID:???0.net
    「シベリア抑留」3万3909人分 厚労省資料、全体像解明に光
    http://sankei.jp.msn.com/life/news/140921/trd14092111550009-n1.htm
    産経新聞 2014.9.21 11:55


    ■11都道府県で死者1000人超

     先の大戦後の「シベリア抑留」により、旧ソ連で死亡した日本人推計5万3千人中、身元が判明した人の約9割に当たる計3万3909人について、厚生労働省が都道府県別に出身地をまとめていたことが20日、分かった。東京都の1832人を筆頭に、計11都道府県で抑留死者が千人を超えている。

     平成3年に旧ソ連から提供された文書で身元が分かった人を対象とし、文書に含まれなかった残り約1割は今後、資料化を目指す。抑留死者については遺族らが個別情報を把握しているが、全体像に関して不明点が多く、解明を進める上で基礎資料になりそうだ。

     共同通信が入手した資料によると、東京を除く10道府県の抑留死者数は北海道1306人、新潟県1157人、愛知県1125人、大阪府1121人、広島県1111人、静岡県1091人、長野県1056人、山形県1041人、鹿児島県1031人、福岡県1030人。資料に個人名は記されていない。

     人口が多かったり、中国大陸の旧満州などに入植した満蒙開拓団に多数が参加したりした自治体が含まれている。日本が一部領有していた樺太(現サハリン)など、現在の都道府県に当てはまらない地域の出身者も116人いる。

     厚労省は身元が分かった抑留死者の名簿を19年からウェブサイトで公開。
    名簿には出身地情報が明記されていなかったが、担当者によると、今年8月から都道府県名を付記した。

     当初は個人情報保護の観点から出身地に関する情報の記載を控えたが「来年の戦後70年に向け抑留者名簿を一層充実させたい」(担当者)として検討を重ね、公開に踏み切ったという。

     ただ、名簿は埋葬地別に分類するなどしているため、出身都道府県別の抑留死者を簡単に把握できない。身元と埋葬地が分かっても遺族らと連絡が取れないケースは約7千件あり、今回の資料が役立つと期待される。(共同)



    【用語解説】シベリア抑留 先の大戦末期のソ連軍参戦で、中国大陸の旧満州などで捕らえられた日本の将兵や民間人ら約57万5千人(厚生労働省推計)が独裁者スターリンの指令に基づき、シベリアなどの旧ソ連やモンゴルに抑留され、森林伐採などに従事させられた。多くは1950年代半ばまでに帰国したが、重労働や飢え、極寒のため計約5万5千人が死亡。91年のゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)来日後、抑留者名簿などの記録提供が始まった。これまでに遺骨約1万7800柱が収容された。(共同)


    http://sankei.jp.msn.com/images/news/140921/trd14092111550009-p1.jpg
    ↑昭和21年12月、京都・舞鶴港に到着したシベリアからの復員兵

    引用元: 【歴史】「シベリア抑留」3万3909人分 厚労省資料、全体像解明に光 [9/21]

    【「シベリア抑留」3万3909人分 厚労省資料、全体像解明に光】の続きを読む

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