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    原爆

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    1: 2016/08/13(土) 16:42:47.38 ID:CAP_USER9
    仏の分子生物学者バートラン・ジョルダン氏は米国が広島、長崎に投下した原子爆弾による長期的後遺症は極度に誇張されたものとする結論を出した。調査結果は「ジェネティックス」誌に掲載。

    被爆者のガン罹患率は被爆していない人のそれに比較すると高いものの、著しい差はない。調査の結果、被爆者のガン罹患率は年齢、性別、また爆心地からの距離によって異なることがわかった。1958年から1998年の間では被爆者のガン罹患率は、放射能被害を受けていない一般の例に比べると10%高い。
    生き残った大多数の被爆者の吸収線量値は1グレイ以下の小さい。

    続きはソースで

    http://jp.sputniknews.com/japan/20160813/2636925.html
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    引用元: 【科学】日本の原爆投下の実被害は過大視されている…被爆者の平均寿命は一般より数ヶ月短い程度=フランスの分子生物学者 ©2ch.net

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    1: 2014/08/17(日) 17:20:34.54 ID:???0.net
    ■湯川博士のノーベル賞受賞の陰に

     前回、「8月15日」の意義についてお話ししましたが、日本の敗戦を決定づけた広島、長崎への原爆投下に関して、日本ではあまり知られていない史実があります。今回は小筆がアメリカ在住時に耳にした秘話を披露したいと思います。

     広島、長崎の悲劇を生んだ原爆を発明したのは、オッペンハイマーやアインシュタインほかユダヤ系化学・物理科学者たち(ナチスから逃れ米国へ移民した学者たち)によるマンハッタン計画でしたが、当初の“ナチスドイツ殲滅・ヒットラー必◯の目標”が、想定外に早く訪れたヒットラーの自死とドイツの降伏(5月)で、実験と投下のタイミングを失したのか、ウランとプルトニウムという二種類の核爆弾の準備を万全に整えるのに遅れたのか(7月に実験成功)、おそらくこれらの理由により、5月以降も応戦を続けていた日本に振り向けることになったそうです

     後になって、このことを知らされ、しかも人体実験も狙った2種2弾で、何と20数万人もの日本人非戦闘民間人を被爆即死させてしまったことが分かり、関与した多くの科学者たちは自責の念に駆られました。研究室を離れたり、ノイローゼにさいなまれたり、核の平和利用を訴える活動に転じたり…。オッペンハイマーにいたっては「日本人に深くお詫びし、死をもって償いたい」と自死を遂げました。

    2014/08/17時点で一般公開が確認出来た記事の一部を引用しました、全文は元サイトでどうぞ
    2014.8.17 07:00 - MSN産経ニュース
    http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/140817/wec14081707000003-n1.htm

    ※補足
    http://en.wikipedia.org/wiki/J._Robert_Oppenheimer
    >オッペンハイマーは、1965年後期に咽頭がんと診断されて手術、1966年後期に放射線治療と化学療
    >法を受けるが成功はせず、 1967年2月15日に昏睡状態に陥り、2月18日に自宅で死亡した。

    引用元: 【戦争】 「日本人に深くお詫びしたい」原爆開発者オッペンハイマーは自死した…日本の「原発」生んだのは「原爆贖罪意識」 [産経新聞]

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    1: 2014/08/15(金) 21:15:13.15 ID:???0.net
    69年前の8月、日本は2つの原子爆弾を投下され、その結果として終戦を迎えました。

    10月に計画されていたサンセット計画…
    もし、この米軍の日本本土への上陸作戦が実行されていた場合、史上最大の犠牲者が出た悲劇的な軍事作戦となったでしょう。
    日本側は数百万人以上、米国も150万人の死傷者が出たと考えられています。


    広島と長崎を破壊した原子爆弾。
    これでもなお、局所的な戦闘は継続していました。
    日本の狂信者たちは「1億総玉砕」をスローガンを掲げていました。

    http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_33/61341_371062_138687.jpg
    日本側から見た地図上では、様々な上陸作戦が見て取れます。
    米国だけでなくソ連からも上陸作戦が計画されていました。

    http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_33/61341_371064_291822.jpg
    http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_33/61341_371067_969367.jpg

    http://slide.mil.news.sina.com.cn/h/slide_8_61341_31157.html

    引用元: 【歴史】もし原爆が投下され終戦していなければ、「日本は”沈没”」していた

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    1: 2014/07/26(土) 13:04:38.58 ID:???0.net
    毎日新聞 2014年07月26日 07時30分(最終更新 07月26日 12時46分)

     長崎に原爆が投下された1945年8月9日、米軍爆撃機B29の来襲に備え、福岡県八幡市 (現北九州市)の八幡製鉄所で「コールタールを燃やして煙幕を張った」と、製鉄所の元従業員が毎日新聞に証言した。

     米軍は当初、小倉市(同)を原爆投下の第1目標としていたが、視界不良で長崎に変更。
     視界不良の原因は前日の空襲の煙とされてきたが、専門家は「煙幕も一因になった可能性がある」と指摘する。
     【曽田拓、比嘉洋、高芝菜穂子】

    ◇米軍機「視界不良」の一因か

     「煙幕作戦」はこれまで、長崎の被爆者への配慮などから関係者も公言せず、実態がほとんど知られていなかった。
     だが、戦後69年がたち、当時を知る生存者も減る中、八幡製鉄所(現新日鉄住金)の元従業員ら3人が証言を決断した。

     このうち、太平洋戦争末期に製鉄所構内の堂山製缶工場で働いていた大分市在住の宮代暁(さとる)さん(85)が、 実際に「煙幕を張った」と証言した。

     8月9日は工場隣の木造事務所におり、ラジオで「少数機編隊が北上中」と聞き、その後、敵機襲来の警報と同時に上司に命じられ煙幕装置に点火。大量の黒煙が上がったのを確認して地下壕(ごう)に避難した。B29が去って事務所に戻ると「長崎が新型爆弾で攻撃された模様」という放送があったという。

     宮代さんによると、従業員たちは、8月6日に広島市が「新型爆弾(原爆)」で壊滅したことを広島経
    由で八幡に戻った同僚から7日ごろに聞いていた。北九州には八幡製鉄所のほか兵器工場などもあり、「次はこっちだと考えていた」と言う。

     工藤洋三・元徳山高専教授が収集した米軍資料によると、原爆を積んだ2機は9日午前9時55分、小倉上空に到達。
     原爆投下を3回試みたが、目標が「もやと煙」で見えず、第2目標の長崎の攻撃を決定し、10時58分に投下した。

     八幡空襲を調査する藤澤秀雄・長崎大名誉教授(80)は「煙幕が空襲の煙や灰、前日の夕立による水蒸気と混ざり、視界を防いだ可能性はある。広島が攻撃された情報を独自に入手した従業員たちが、警戒を強めていたという事実も注目に値する」と話している。

    続きはソースで

    (※元記事より抜粋しています。全部読む)
    原爆:投下の日「煙幕」…八幡製鉄所の元従業員が証言
    http://mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c.html

    引用元: 【歴史】長崎原爆:投下の日「煙幕」…八幡製鉄所の元従業員が証言、8月6日に広島が壊滅し「次はこっちだと考えていた」

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    1: 2014/07/20(日) 16:06:18.15 ID:???0.net
    ソース(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/life/news/140720/art14072014500003-n1.htm
    写真=大空襲で焼き尽くされた東京の下町一帯。米国が無差別爆撃作戦に転じた結果だった
    http://sankei.jp.msn.com/images/news/140720/art14072014500003-l1.jpg
    写真=トルーマン米大統領
    http://sankei.jp.msn.com/images/news/140720/art14072014500003-p2.jpg

     松本清張の『砂の器』に、大阪大空襲で区役所と地区の法務局が全焼、戸籍原簿が全て焼失したという話が出てくる。若い男がこれを利用して自らの戸籍を偽造するのだ。むろん小説であり、そんな犯罪が実際に行われたかどうかは分からない。ただ大空襲が戸籍業務も狂わすほど激しいものだったことは間違いない。

     昭和20(1945)年3月13日夜から14日未明にかけ274機の米爆撃機B29が大阪を襲った。低空から約7万個という焼夷(しょうい)弾を落とし、大阪市内をほぼ焼き尽くした。市民3千人余りが亡くなり、13万戸以上の家屋を焼失した。

     その4日前の3月10日未明、首都東京への空襲は、もっとすさまじかった。

     9日夜、房総半島南部から東京にかけ数機のB29が侵入してきたが、そのまま去った。このため午後10時半に出された空襲警報もいったん解除され、市民も安心して眠りについたが、10日に日付が変わったころ、おびただしいB29が来襲した。

     午前0時8分ごろから最初の編隊が現在の江東区から墨田区にかけ次々と焼夷弾を投下、15分に再び空襲警報が発令されたときには下町一帯はすでに炎に包まれていたという。

     マリアナ諸島の爆撃基地から飛来したB29は米側史料によると334機に上った。まず最初の編隊が巨大な長円状に焼夷弾を落とし「火の壁」をつくる。後続機はそれを目印に「壁」の中に次々と爆弾を落とす。

     この日は20メートルという強風も吹いていたといい、人々は逃げ場をふさがれ、焼死していくしかなかった。その数はいまだに確定していないが、10万人を超えるという見方もある。完全な無差別◯戮(さつりく)と言ってもいい。

     東京が初めて本格的空襲を受けたのは昭和19年11月24日、88機のB29が武蔵野町(現武蔵野市)の中島飛行機武蔵工場などを爆撃、550人の死傷者を出した。

     この時点での空襲は昼間、1万メートルほどの高さから軍需工場を中心に狙った。時に精度が狂い、一般の民家などにも被害が出た。
    だがマリアナの米軍B29爆撃兵団の指揮官が20年1月、カーチス・ルメイ少将に代わってからは、夜間低空から焼夷弾を使う無差別じゅうたん爆撃が採られ、非戦闘員も対象とされた。

     その最初が3月10日の東京で、大阪を経て17日にはB29が309機神戸に来襲した。神戸では8月まで度重なる夜間空襲で8800人余りが死亡した。空襲はやがて地方都市にも広がり、市民が逃げ惑うことになる。

     この無差別◯戮の行き着いたところが20年8月6日、9日の広島、長崎への原爆投下だった。広島では被爆直後だけで、約10万人が犠牲になった。約16時間後、米大統領ハリー・トルーマンは声明を発表した。

     「われわれは現在、日本が有するいかなる都市、いかなる生産施設も迅速かつ完全に抹◯する用意がある」。一国の大統領とは思えない威嚇であった。

     戦後、戦勝国側では原爆投下を「日本の力を徹底的にそぎ、これ以上われわれの国民の命を失わないため」「日本に早期降伏を促すため」などと正当化してきた。

    続きはソースで

    引用元: 【歴史】大阪、東京、広島、長崎…無差別殺戮に転じた米国、トルーマンは原爆投下直後に威嚇、「我々は日本を完全に抹殺する用意がある」

    【トルーマン「我々は日本を完全に抹殺する用意がある」無差別殺戮をした米国、原爆投下直後に威嚇】の続きを読む

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