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    天守

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    1: 2016/06/02(木) 12:47:53.22 ID:CAP_USER9
    高松城復元で懸賞金3千万円

    http://www.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8035726921.html?t=1464838891000
    ※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

    国の史跡に指定されている高松城跡の天守の復元を目指している高松市は天守の内部が分かる写真や図面などが提供された場合に総額3000万円の懸賞金を出すことになりました。

    高松城は堀に海水を引き入れた水城として知られ、その天守は四国の城で最も大きかったとされていますが老朽化のために明治17年に取り壊されました。
    高松市では、天守の復元を目指して資料の収集にあたっていますが外観を撮影した写真などは見つかっているものの天守内部の状態を明らかにする写真や図面などは見つかっておらず、復元について文化庁の許可が得られない状況になっています。

    このため、高松市では、天守の復元に必要な内部の状態が分かる写真や図面を提供した人に対して総額3000万円の懸賞金を支払うことにして今月9日に始まる6月市議会に提出する補正予算案に盛り込みました。

    写真や図面の募集は6年後の平成34年3月まで続け複数の情報があった場合には資料としての価値を判断して懸賞金を分配するということです。

    これについて高松市の大西市長は記者会見で「高松城は市のシンボルで天守はその中心となる施設だ。
    今回多額の懸賞金を設けることで市民の関心が高まり、何らかの手がかりが見つかれば」
    と話しています。

    06月01日 19時25分
     
    ダウンロード (4)


    引用元: 求む! 高松城の秘密情報 懸賞金は\30000000(総額)©2ch.net

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    1: 2016/05/01(日) 09:54:54.35 ID:CAP_USER*
    国宝・松江城「天守雛形」の謎…国内最古説も製作年不明、現天守と異なる細部 市が本格調査へ

    http://www.sankei.com/west/news/161221/wst1612210004-n1.html
     国宝松江城天守の柱や梁(はり)などの内部構造を精巧に再現している模型「松江城天守雛形(ひながた)」。
    天守の歴史を知るための貴重な資料だとして松江市指定文化財となっているが、江戸時代・寛永期の作とされてきた従来の見解が近年揺らぐなど、謎の部分も多い。
    このため、市松江城調査研究室は今年度以降、模型の本格調査に乗り出す考えだ。

    完成後30年で改修?

     天守の模型は、大規模改修などに先立って製作されるケースが多い。
    松江城天守雛型の場合は、1638(寛永15)年に松江藩主となった松平直政に従って国入りしたお抱え大工頭が、「天守が1メートル程度傾いている」と直政に申し出て、修理を命じられた際に作ったとされている。

     この根拠となったのが、幕末に家臣が記した「藩租御事蹟(ごじせき)」という書物の記述とされる。
    「これが本当なら、1611(慶長16)年の天守完成からわずか30年ほどで、大改修の必要に迫られたことになる」と松江城調査研究室。

     だが、寛永期に天守が改修された史実は見当たらない。
    修理記録や部材の墨書などから確認できるのは、1676(延宝4)年に行われた天守付櫓(つけやぐら)の装飾「懸魚鰭(げぎょひれ)」の修復。
    その後の1700年代以降は天守がたびたび改修されたようだ。

    続きはソースで

    産経WEST:2016.5.1 09:00 
    ダウンロード (1)


    引用元: 【文化/歴史】 国宝・松江城「天守雛形」の謎 国内最古説あるも製作年不明 現天守と異なる細部 市が本格調査へ©2ch.net

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    1: 2014/11/13(木) 18:16:50.74 ID:???*.net
    秀吉の権威示す?本丸東西に建物跡 滋賀・水口岡山城跡
    【京都新聞】 2014/11/13 08:39

    滋賀県甲賀市教委は12日、戦国時代末期に同市水口町に築かれ、関ケ原の戦い(1600年)後に廃城となった水口岡山城跡から、主郭部(本丸)の東西で石垣や石階段の一部などが見つかったと発表した。それぞれ土台部分の規模などから天守クラスの大きさの建物跡だったと推定しており、「豊臣政権の権威を世間に誇ろうとしたのではないか」と説明している。

    水口岡山城は、豊臣秀吉が甲賀支配の足がかりにしたとされ、秀吉の重臣中村一氏(かずうじ)が1585(天正13)年、古城山(標高283メートル)に築城。3代目城主の長束正家は関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ、築後15年で廃城となった。その後、徳川家康は水口を直轄地とし、城を徹底的に壊す「破城(はじょう)」にした。

    今回見つかった東西の建物跡の間隔は70~80メートル。東の建物跡からは石垣と柱を支える土台の礎石が見つかり、天守の土台部が北東へ一部張り出しているのが分かった。西側からは石の階段と排水溝とみられる石組み溝が見つかった。

    続きはソースで

    ソース: http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20141113000017
    画像: http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2014/11/20141113085346okayamajo.jpg
     (本丸西側の建物跡から見つかった石組み溝(手前)と石階段=甲賀市水口町水口・水口岡山城跡)

    関連ソース:
    水口岡山城 天守台2つか | 読売新聞
    http://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/news/20141112-OYTNT50554.html

    引用元: 【史跡】秀吉の権威示す?本丸東西に建物跡 滋賀・水口岡山城跡 [14/11/13]

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    1: 日本@名無史さん 2011/08/31(水) 00:46:55.32 .net
    天守閣が200mとかになりそう
    1

    引用元: 今の技術の粋を集めて城を作ったらどうなるか?

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