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    天皇

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    1: 2014/12/18(木) 18:12:23.32 ID:???0.net
    両陛下訪問「歴史的で光栄」=パラオ大統領が会見-東京
    【時事ドットコム】 2014/12/18-16:23

    来日しているパラオのレメンゲサウ大統領は18日午後、東京都千代田区の日本記者クラブで記者会見し、戦後70年となる来年4月にも天皇、皇后両陛下の訪問が検討されていることについて、「実現すればパラオにとって歴史的な出来事で、光栄に思う。友好関係にも語り尽くせないくらい大きな意味がある」と歓迎した。

    その上で「両陛下の訪問は過去に対して敬意を表するというだけでなく、現在の日本とパラオの緊密な関係を認識する機会になる。全世界に対して、もう二度と戦争の悲劇は繰り返さないという強い意志の表れにも
    なるだろう」と語った。(2014/12/18-16:23)

    ソース: http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014121800678
    画像: http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0141218at28_t.jpg
     (記者会見するパラオのレメンゲサウ大統領=18日午後、東京都千代田区)

    引用元: 【外交】「両陛下の訪問は歴史的で光栄」パラオ大統領が東京で記者会見 [14/12/18]

    【「両陛下の訪問は歴史的で光栄」パラオ大統領が東京で記者会見】の続きを読む

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    1: 2014/11/29(土) 12:05:30.19 ID:???0.net
    12月23日に81歳を迎える今上天皇は、かねてよりご自身の陵墓案など「その日」を視野に入れた活動をされてきた。
    だが皇族の身分を規定する『皇室典範』には、代替わりについての大きな穴があった-。

    ■「皇太弟」に「皇太甥」
    「えっ、そうなんですか?皇太子という存在は必ずいるものだと思ってました。皇太子がいない状況というのは、神話とかそのあとの時代ぐらいなのかと」(漫画家・倉田真由美氏)
    おそらく大多数の人が倉田氏と同じ思いを抱くだろう。今上天皇が代替わりし、現皇太子の浩宮徳仁親王が皇位に就いたとき、皇室には「次の天皇(皇嗣)」たる権利を持つ「皇太子」がいなくなってしまうのだ。
    そんな話があるか、秋篠宮文仁親王も悠仁親王もいらっしゃるではないかという反論が返ってくるだろう。
    確かに皇位継承権を持つ皇族男子は存在する。けれども、お二人は「皇太子」にはなれない。『皇室典範』が定めている皇太子の条件に合致しないからだ。

    皇室典範が定める皇太子の定義にはこうある。
    〈第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という〉
    ここに出てくる「皇子」とは、天皇の息子を意味する。だから現在、皇太子の地位には、今上天皇の長子である浩宮がついている。
    では、浩宮が即位して天皇となった場合はどうなるのか。浩宮には娘(愛子内親王)はいるが、息子(皇子)はいない。
    皇室典範第一条には〈皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する〉とあるので、息子がいない以上、「男系男子」の孫(皇太孫)も当然いない。
    「現皇太子が即位した時点で、皇位第一継承者は弟宮の秋篠宮文仁親王になります。ただ、秋篠宮は『皇嗣たる皇子』ではないから、皇太子にはなりません。歴史上の表記でいえば、〝皇太弟〟ということになる。悠仁親王はどうか。
    たとえば、父である秋篠宮が兄の天皇より先に亡くなった場合、悠仁親王が皇位第一継承者になるわけですが、悠仁親王は皇太孫ではなく、天皇の甥なので、やはり皇太子にはなりません」(ノンフィクション作家・保阪正康氏)

    皇太子不在を、それほど問題にする必要はないという意見もある。近現代史研究家の浅見雅男氏は言う。
    「歴代の天皇家において、皇太子が空位だったことは決して珍しいことではありません。皇室典範が穴だらけなのはそのとおりですが、むしろそれによって皇位継承は、昔から融通無碍におこなわれてきた。世継ぎの方に対して、皇太子という呼び方を絶対にしなければいけないという決まり自体がないのです。
    もし、浩宮在位中に悠仁親王が皇位継承第一位になった場合は、『皇太甥』とするのが、一番自然ということになるでしょう」
    今の世に皇太甥と書いて「こうたいせい」と読める人がはたしてどれだけいるだろうか-。

    ■「東宮職」もなくなる
    皇室ジャーナリストの山下晋司氏が語る。
    「皇太子がいなくなれば、宮内庁法第六条によって〈皇太子に関する事務をつかさどる〉とされる『東宮職』がなくなります。
    東宮職は、現在約50名。ほかに料理人や運転手などの管理部の職員もあわせると六十数名の居場所がなくなります。
    解雇できませんので人事異動で対応するしかありませんが、それだけの人数を異動させるとなると大変です。宮内庁には頭の痛い問題でしょう」

    皇太子としての公務を誰が担うのか、という問題も、当然出てくる。
    「皇太子殿下が即位されれば、皇位継承順位第一位の秋篠宮殿下が、今の皇太子殿下の職務を引き継がれるでしょう。
    そうすると、宮家皇族としてこれまで秋篠宮殿下がやってこられた公務はどうなるのかという問題が出てきます。
    外国交際の面でも、悩ましい問題が生まれるでしょう。事実上の皇太子ではあるが、法的には一宮家の親王という場合、外国に対してクラウンプリンス(皇太子)という言葉を使うのか、それともただのプリンスとするのか。当然、次期皇位継承者ということでクラウンプリンスとして活動していただいたほうが日本の国益にはなるでしょう。国内と海外で使い分けをするという可能性もあります」(前出・山下氏)
    東宮家と宮家では、公的な活動の内容も大きく違ってくる。宮家皇族は公益法人など各種団体の名誉職に就いて活動できるが、皇太子・皇太子妃は、天皇・皇后と一緒で、原則的には団体の名誉総裁には就かない。秋篠宮は、現在、世界自然保護基金ジャパン名誉総裁や日蘭協会名誉総裁など多くの名誉職に就いているが、皇太子の職務を引き継いだ場合、これら名誉職や、その活動はどうするのかもはっきりしない。実際問題として、宮家皇族としての公務と皇太子の公務を兼任するというのは難しいだろう。



    >>2

    http://news.livedoor.com/article/detail/9515835/
    宮内庁が密かに頭を悩ます 浩宮が即位したら、「皇太子」がいなくなる 秋篠宮も愛子さまも悠仁さまも、皇太子にはなれない

    引用元: 【皇室】宮内庁が密かに頭を悩ます 浩宮が即位したら、「皇太子」がいなくなる・・・秋篠宮も愛子さまも悠仁さまも、皇太子にはなれない

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    1: 2014/11/20(木) 23:18:44.12 ID:???0.net
     日本人として生まれ、日本に育った人であれば誰もが知る国歌『君が代』。
    歌詞の歴史は古く『古今和歌集』に登場した読人しらず(不明)の短歌を参考にしていると言われ、曲がついたのはそれから更に千年後の1880年(明治13年)。

     歌詞については古い短歌ということもあり、現代ではなじみのない表現が多く、現代人からすれば「何かの暗号」にさえ感じることも。
    ただ、多くの人の解釈としては歌詞にある「君」という言葉から、純粋に「天皇」について書かれているものと認識されています。

     ところが一説には、この『君が代』をヘブライ語に訳すると、別の意味が出てくるという話もあるのです。
    以前ネットで話題になったものが、最近再び注目を集めていたので今回少しだけご紹介。

    話題になっている、ヘブライ語解釈の『君が代』は次のとおり。

    【日本語】  【ヘブライ語】   【訳】
    君が代は   クム・ガ・ヨワ    立ち上がり神を讃えよ
    千代に    チヨニ        シオン※の民 ※イスラエルの歴史的地名・形容詞
    八千代に   ヤ・チヨニ      神の選民
    さざれ石の  ササレー・イシィノ  喜べ残された民よ 救われよ
    巌となりて  イワオト・ナリタ   神の印(預言)は成就した
    苔のむすまで コ(ル)カノ・ムーシュマッテ 全地に語れ

    訳だけだと少し分かりにくいので、歌詞風にするなら
    「立ち上がり神を讃えよ 神に選ばれしイスラエルの民よ 喜べ残された人々 救われよ 神の預言は成就した これを全地に知らしめよ」といった感じでしょうか。

     ヘブライ語は20世紀に再生されるまで、約2千数百年の間、一部ユダヤ人の間だけで使用されていた言葉。
    そのため、歴史はあっても古代ヘブライ語と現代ヘブライ語では若干表現や発音が異なり、訳した人達は訛りなどを考慮し訳した部分もあるようです。
    ただし、紹介されるサイトではどこも基本このような感じで紹介されていました。

     一見するとただのこじつけのようにも見えるこの訳。
    しかし、約2千数百年前、イスラエルを追われた一部の古代イスラエル人(=ユダヤ人、ヘブライ人)が日本に移り住んだという説が実はあるのです。
    他にも、ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ氏の著書によると、他言語との類似点が少ないとされる日本語には、ヘブライ語と類似した単語が3000語を超えて存在すると紹介されています。
    例えば「サムライ(侍)→シャムライ(守る者)」「シャムショ(社務所)→シャムショ(ユダヤの社殿)」「ネギ(禰宜)→ナギ(神官)」など。段々ワクワクしてきますよね。

     約2千数百年前に一体何が起こっていたのか?
    その頃その地域で起こった気になる出来事を拾ってみると、紀元前722年、北イスラエル王国(10支族※部族とも言う)がアッシリアにより滅ぼされています。
    そして、滅亡後の10支族については記録が少ないことから、いつの頃からか「失われた10支族」と呼ばれ謎多き存在ということに……。

     滅亡した国のため単に記録が残っていないだけで、残された10支族はバラバラとなり、異民族との婚姻などにより周辺民族と同化していった……というのが有力なようですが、
    10支族の一部は長い年月をかけ東に逃れた……という説もあるようです。
    なお、「失われた10支族」については1975年、アミシャブという調査機関が発足し、現代に至るまで調査が進められ、その範囲は日本にまでおよんでいるそうです。

     遠い国が滅亡したころ、日本では何が起こっていたのか?
    北イスラエル王国滅亡から62年後の紀元前660年、日本の初代天皇『神武天皇』が即位し、日本建国の年と言われています。
    神武天皇は現代の歴史学上では、神話や伝説上の人物とされているそうですが、大体の誕生日は伝わっており推定紀元前711年2月13日とされています。
    北イスラエル王国滅亡から約11年後の出来事です。
    何だか時を近くして、日本でも歴史に残る大きな出来事が起こっていたようですね。

     この二つを関連づけ、かねてから『日ユ同祖論』というものがあります。
    日本人とユダヤ人(古代イスラエル人)は共通の祖先をもつという説です。
    ただ、研究者によると、この二つの民族にはDNAに関して言えばつながりを持っている可能性はないと既に全面否定されているそうです。
    残念。ここまで盛り上げたのにすみません。
    DNAレベルでの交流はないかもしれませんが、何らかの文化交流はあったかもしれませんよね。
    それに、科学がさらに進歩した暁には、また違う結果がでることも充分考えられますしね。
    古代ミステリーファンの筆者としては、謎は謎のままで……という気分です。

     最後に余談ですが、筆者は、古事記、日本書紀、関連書籍を読みあさるのを特に趣味としております。
    ただその時にいつも困るのが、古代の人々の名前が覚えにくい点。
    「あれって暗号みたいだよね~」と、以前から思っていたのですが、折角なので誰かヘブライ語翻訳していないか探してみたところ?ありました。
    先にも出てきたヨセフ・アイデルバーグ氏含む何人かの方が訳していました。

    あくまで話のネタ程度にご紹介。

    ▼初代天皇『神武天皇』
    神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)

    【日本語】 【訳】
    カム     集う、集結or創建、創設
    ヤマト    神の民
    イワレ    ヘブライ人
    ヒコ     最初、高貴、高尚
    スメラ    サマリア(=北イスラエル王国)or栄光
    ミコト    王、大王

    訳すると「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」。

    http://news.livedoor.com/article/detail/9490208/

    引用元: 【国歌】「君が代」がヘブライ語に翻訳 その解釈がネットで話題に

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    1: 2014/09/16(火) 13:36:19.15 ID:???0.net
    『週刊ポスト』で平成4年から20年以上にわたり連載が続く歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。
    単行本、文庫本等のシリーズ累計部数がついに500万部を突破したこの大人気作品の原点は、著者・井沢元彦氏が「師」と仰ぐ哲学者・梅原猛氏との「出会い」にあった。
    今回、2人が出雲王朝の謎について改めて語り合った。

    井沢:梅原先生は『葬られた王朝』で、出雲王朝が実在したと述べておられますが、どのような政権だったととらえていらっしゃいますか?

    梅原:現在の天皇家につながるのがヤマト王朝ですね。
    そのヤマト王朝が奈良時代に編纂したのが『古事記』や『日本書紀』です。
    これら『記紀』に述べられている神話を読んでみますと、ヤマト王朝以前に出雲王朝があったとしか考えられません。

    井沢:それは間違いないと思います。

    梅原:その出雲王朝の祖先であるスサノオノミコトは、『日本書紀』を読むと、どうやら朝鮮半島からやってきたらしい。

     さらに、出雲王朝でもっとも大切にされていた宝器は銅鐸です。
    銅鐸は朝鮮半島で使っていた馬の鈴がその原型と考えられます。
    馬の鈴が大きく立派になって銅鐸になった。
    だから、出雲王朝というのは朝鮮半島からやって来た人たちの王朝であって、はじめは出雲を中心とした地域を治めていた。

     そしてスサノオの子孫のオオクニヌシノミコトが日本をはじめて統一した人物でしょう。
    東日本はまだ治めてなかったとしても、西日本をほぼ統一した国家をつくっていたはずです。

    井沢:つまり、出雲王朝とは先住開拓民による王朝だったのですね。

    梅原:その出雲王朝を、南九州からやって来た王朝が滅ぼして新しい統一国家をつくった。
    これがヤマト王朝だと思います。彼らがもっとも大切にした宝器は銅鏡です。

    井沢:「銅鏡」という考古学用語は、大和言葉(漢語などの外来の言葉を除く、日本固有の言葉)でいえば「かがみ」ですね。同様に「銅剣」は「つるぎ」です。
    ところが、「銅鐸」に対応する大和言葉はないのですね。

    梅原:ありません。

    井沢:ということは、銅鐸は存在そのものを消されたのでは?

    梅原:銅鐸は明らかに破壊されてから埋められたものが、あちこちから出土しています。
    これは銅鐸の信仰、すなわち出雲王朝の権威を否定したのでしょう。
    それを行なったのは、言うまでもなくヤマト王朝です。

    週刊ポスト 2014.09.16 07:00
    以下全文
    http://www.news-postseven.com/archives/20140916_275653.html

    引用元: 【歴史】「スサノオノミコトは朝鮮半島からやってきた」と梅原猛氏

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    1: 2014/08/03(日) 16:23:54.28 ID:???.net
    毎日新聞 2014年08月03日 10時01分(最終更新 08月03日 15時09分)
    飛鳥京跡苑池の推定図
    http://img.mainichi.jp/mainichi.jp/select/images/20140803k0000e040130000p_size5.jpg

     奈良県明日香村の国史跡・名勝「飛鳥京跡苑池(えんち)」(7世紀)の南池に配置された雲のような形の島の下に更に古い島があることが、奈良県立橿原考古学研究所の調査で分かった。橿考研の東影悠・主任研究員が2日、公開の講座で発表した。苑池は天皇の宮殿に付属する国内初の本格庭園で、改修を重ねていたことを示す重要な資料としている。

     南池は南北55メートル、東西65メートル、面積2200平方メートルで五角形。島は最も近い北岸の沖約10メートルに石積み(高さ約1.3メートル)で築かれ、南北最大15メートル、東西32メートル、面積は約200平方メートルある。水深は30センチ程度だったとされる。

     東影研究員によると、島中心部の発掘地から、古い島の北端とみられる石積み護岸などが見つかった。古い島の外側には泥状の土がたまった石敷きを確認。
    石敷きが泥に埋まった後、その上に雲形の島が造成されたらしい。

    続きはソースで

    【矢追健介】毎日新聞
    http://mainichi.jp/select/news/20140803k0000e040116000c.html

    引用元: 【考古学】飛鳥京跡苑池 改修跡 古い島の護岸発見 橿考研

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