1: 2014/10/24(金) 21:43:38.84 ID:???0.net
■特攻の命中率 終戦直前は9機に1機の11%
初陣戦果に「有効性」思い込んだ海軍
初めての神風特攻隊は在フィリピンの第一航空艦隊(一航艦)司令長官、大西瀧治郎・海軍中将が編成し、海軍最後の艦隊決戦となったフィリピン・レイテ沖海戦に投入された。関行男大尉を隊長とする敷島隊計5機が1944年10月25日、米海軍の護衛空母「セントロー」(7800トン)を撃沈。他の3隻に損傷を与えた。
初陣での破格の戦果に、海軍は戦術としての特攻の有効性を信じた。

防衛庁防衛研修所戦史室(現在の防衛省防衛研究所戦史部)が編さんした戦史叢書によると、一連の「比島特攻作戦」で海軍は436機、陸軍は243機が出撃。成功率は約27%だったという。
この数字は高いのか、低いのか。目標に向かって急降下しながら爆撃する「急降下爆撃」という戦術はもともと、従来の水平爆撃以上の命中率を得るために編み出された。開戦時の真珠湾攻撃で、一航艦(南雲機動部隊)の九九式艦上爆撃機は急降下爆撃で命中率58.5%を上げている。
42年4月のインド・セイロン沖海戦では、英東洋艦隊の空母「ハーミズ」に対して命中率89%を記録。
史上初めて空母機動部隊同士が激突した42年5月の珊瑚(さんご)海海戦で、日本軍は米空母「レキシントン」に命中率53%、米軍は空母「祥鳳(しょうほう)」に命中率32%の戦果を残している。
そうした数字と比べて、レイテ沖海戦時の特攻成功率は特に高い数字というわけではない

しかも特攻戦術による命中率は次第に低下していく。軍事史研究家の故・小沢郁郎氏は自著
「つらい真実 虚構の特攻隊神話」(同成社)で、出撃機数や米海軍の被害統計などを精査。
フィリピン戦期(1944年10月~45年1月)は23.5%だった命中率が、沖縄戦期(45年3月~終戦)は7.9%に低下していたと算出した。

■体当たりなんて…日本は終わり」特攻1号の関大尉
全軍の模範となる「特攻第1号」として、海軍兵学校出身の関行男大尉は特に選抜された。
戦死後は2階級特進し、「軍神」となった。一方で、出撃前にこう慨嘆していたという。
「通常攻撃でも爆弾を命中させる自信がある。そんな僕に体当たりを命じるなんて、日本は終わりだ」

■劣勢で次々失った熟練パイロットたち
特攻戦術が採用された背景として、熟練の航空機搭乗員の減少がある。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)をはじめとする日本機は戦果を上げる一方で、その防弾性能の低さから、損害も増加させた。
太平洋戦争は1942年8月にガダルカナル島の戦いが始まると航空消耗戦となり、逐次投入で貴重な戦力を消尽させていった。42年10月の南太平洋海戦では出撃216機のうち、約6割の130機を失ったとされる。
連合艦隊は翌43年4月の「い号作戦」終了後の研究会で、戦闘機の日米の実力差は開戦時には6対1とリードしていたが、同作戦では1対1くらいとほぼ並んだと判定した。戦史叢書によると、開戦時の海軍搭乗員約7000人のうち、
44年3月時点では既に6割近く、約3900人が戦死していたという。

■練習機や偵察機など低性能の機体も苦し紛れ投入
爆装した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)により、特攻作戦は開始された。
搭乗員は志願制を建前としたが、華々しい戦果が伝えられるとともに恒常化。あらゆる機体が投入されることになる

沖縄戦などがあった1945年3~7月に投入された陸海軍機計1813機のうち、約3割(計536機)がそもそも実際の戦闘には向かない偵察機・練習機、旧式戦闘機などが占めた。
もともと低速・低馬力なうえに無理に爆装したため、運動性能はさらに低下した。

■正規空母、戦艦、巡洋艦は一隻も撃沈できず
米海軍、最新レーダーで特攻を無効化
米海軍は最新の科学技術、効率的な組織運用により、特攻戦術を無効化していった。
精神主義の日本軍は物量だけでなく、米軍の合理主義にも敗れ去った。
特攻機の主目標は大型の正規空母(2万~4万トン級)を中心とする機動部隊。
その外周部に、米軍は対空捜索レーダーを搭載した駆逐艦「レーダーピケット艦」による
早期警戒網を設け、日本の攻撃隊を感知。空母の戦闘機隊で迎撃した。

http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data2.html


引用元: 【戦争】航空特攻による戦死者3848人、正規空母・戦艦・巡洋艦は一隻も撃沈できず・・・無意味さを認識していた大本営★3

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