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    政治

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    1: 2015/05/07(木) 22:11:32.14 ID:???*.net
    ジャーナリストでアムステルダム大学名誉教授のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、30年以上にわたって日本政治を研究し『人間を幸福にしない日本というシステム』をはじめ数多くの話題作を発表してきた。
    「真の独立国」になれないまま戦後70年を歩んできた日本には何が必要なのか、ウォルフレン氏が語った。

     * * *

    (私は)京都精華大学人文学部専任教員の白井聡氏との共著で『偽りの戦後日本』(KADOKAWA刊)を出版した。
    白井氏は『永続敗戦論』(太田出版刊)で注目された新進気鋭の学者であり、戦後の歪んだ日米関係をわかりやすく表現できる優れた有識者だ。

    白井氏は「日本の右傾化」について強い危惧を示していたが、私はそれを許した左翼の罪が大きいと考えている。
    戦後日本では左翼が理想論ばかり唱えて現実的な対案を出せなかった。作家の大江健三郎氏や社会党の党首を務めた土井たか子氏が象徴的な存在だろう。ひたすら平和を唱え、国民に対して「戦争はダメだ」「軍隊を持ってはいけない」というだけで、議論を深めようとしなかった。

    左翼は「憲法を守ってきた」と自負しているが、大きな間違いだ。憲法9条が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定しているにもかかわらず世界で最も高価な軍隊の一つである自衛隊の存在に目をつぶってきた。日本に軍隊はない、と主張したところで海外には全く説得力がない。
    自衛隊違憲論にしても理想論を掲げただけで、社会党は本気で政権交代を起こそうともしなかった。

    少しでも軍事力を持てば日本が戦争に突き進むという考えは、日本を一人前の国家と認めていないに等しい。
    その点において、日本の左翼はアメリカにとっても都合の良い存在だった。
    憲法は、アメリカが日本を従わせるのに都合が良いものとして作られたのだから。

    続きはソースで

    images (1)

    ※週刊ポスト2015年5月8・15日号
    http://www.news-postseven.com/archives/20150507_319449.html

    ★1の立った日時:2015/05/07(木) 19:44:54.27
    前スレ http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1430995494/

    引用元: 【政治】日本の右傾化は、土井たか子や大江健三郎など左翼が夢物語ばかり掲げたから…アムステルダム大学名誉教授ウォルフレン氏★2

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    1: 2015/02/24(火) 23:20:21.76 ID:???*.net BE:287993214-2BP(1012)
    陸軍の青年将校が武力クーデターによる政治改革を目指した二・二六事件から26日で79年となる。 

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    当時、歩兵第3連隊第7中隊の一員として警視庁の占拠に加わった志水慶(よし)朗(ろう)さん(98)は、大雪だったあの日に起きた出来事を今も克明に記憶している。
    「当時は命令に従ったまでだが、事件は戦争拡大を助長したのではないか」。戦後70年を経て、志水さんは後悔の念も込めて振り返る。

    ■目的は知らされず

     昭和11年2月26日の明け方。19歳だった志水さんは30センチほども降り積もった雪の上に腹ばいになり、東京・桜田門にあった警視庁に軽機関銃を向けていた。
    間もなく、屋上で兵士が旗を振るのが見え、警視庁を占拠したことを知ったが、行動の目的は一切知らされなかった。

     そのうち、「首相や蔵相を射◯した」との伝令の言葉が漏れ伝わってきた。「ただならぬことが起きているんだという緊張感でいっぱいでした」

     この日の未明、約50日前に入隊したばかりの志水さんら初年兵は、上官から実弾を渡され、歩哨に立つ際に「尊皇」と言えば「討(とう)奸(かん)」と答える合言葉を教えられた。
    前日の晴天と打って変わり、外は一面銀世界だった。午前4時すぎ、隊列を組んで麻布の連隊から足跡一つない雪を踏みしめて警視庁に向かった。

    ■抵抗すれば射◯

     志水さんらは、10日前の2月16日未明にも非常呼集で飛び起き、警視庁に向かった。「歩3(歩兵第3連隊)と歩1(歩兵第1連隊)が決起して現内閣を打倒する。第7中隊は警視庁を襲撃する」。
    上官からの“想定”とした命令に驚きつつ、突撃の練習をした。

     「後に予行演習だったんだと気付いたが、そのほかにも、当時教えられたことは入隊前の常識とはかけ離れていた」。
    毎日行われる演習や射撃訓練。夕食後の上官による精神教育でも「高橋(是清)蔵相は悪人だ」などと政権への批判が目立っていた。

    続きはソースで

    ■二・二六事件 昭和11年2月26日、約1500人の兵を率いた陸軍皇道派の青年将校が武力による政治改革を目指して首相官邸など襲撃。斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監らを◯害した。
    国会議事堂や警視庁などを占拠したが、昭和天皇の奉勅命令が出され、同月29日に鎮圧。将校ら19人が死刑になった。

    http://www.sankei.com/images/news/150224/wst1502240070-p1.jpg
    二・二六事件について振り返る志水慶朗さん
    http://www.sankei.com/images/news/150224/wst1502240070-p2.jpg
    歩兵第三連隊に入隊した当時の志水慶朗さん=昭和11年撮影(志水さん提供)
    http://www.sankei.com/images/news/150224/wst1502240070-p3.jpg

    http://www.sankei.com/smp/west/news/150224/wst1502240070-s.html

    引用元: 【歴史】「武力で政治に介入しようとしたのは間違いだった」二・二六事件で警視庁を占拠した元兵士語る…あれから79年

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    1: 2014/12/08(月) 18:47:22.95 ID:???0.net
    日本が真珠湾攻撃に踏み切った1941年12月8日、それは欧州の東部戦線でドイツ軍によるモスクワ攻略の失敗が明らかになった直後でした。近代戦の要は首都攻略です。これにより、ソ連が早期降伏する見込みはなくなり、ドイツは対イギリスの西部戦線も抱え、第一次世界大戦と同様に「二正面作戦」に陥った。日本はドイツ、イタリアと三国軍事同盟(1940年9月)を締結することで、米国やイギリスをけん制しようとしましたが、頼みの綱のドイツが致命的な敗北を被ったわけです。

     歴史に「もしも」はありません。しかし、ドイツ敗退との戦況が対米開戦の決定前に伝われば、日本政府にどのような影響を与えたでしょうか。その場合、日本は「スペイン・オプション」を歩むことになったと思います。スペインのフランコ政権は内戦でドイツとイタリアの支援を受けたにもかかわらず、枢軸国側での参戦を見送りました。スペインは戦禍、敗戦を免れ、フランコの死(1975年)を経て民主化へと向かいます。もし日本が「真珠湾」を決断しなければ、この「スペイン・オプション」を選ぶことになったと思います。参戦していない強国日本を両陣営が味方にしたいと考え、日本は有利な立場を得たことでしょう

    戦争を回避するチャンスはぎりぎりまでありました。1941年11月26日のハル・ノート(米国の対日文書。
    日本軍の中国からの撤兵などを要求した)について、日本政府は米国政府は最後通牒(つうちょう)を突きつけてきたと判断しました。その時、親英米派の吉田茂(当時は外務省待命大使)が人を介し、東郷茂徳外相に意見具申をしました。「あなたは薩摩の末裔(まつえい)だろう。大久保利通らが築いた国を滅ぼす気か」「ハル・ノートは言い値だ。これをたたき台にすればむしろ、交渉を継続できる」。
    そして、外相辞任も考慮すべきだと極言します。政変となれば東条内閣は厳冬になる前に対米開戦する機会を失います。しかもドイツの敗退を知ることになります。

    続く

    画像
    http://img.mainichi.jp/mainichi.jp/feature/images/20141208mog00m040004000p_size8.jpg
    http://mainichi.jp/feature/news/20141208mog00m040002000c.html

    引用元: 【大東亜戦争/無能な指導者】日米開戦:政治の未熟が招いた真珠湾 五百旗頭真さんインタビュー

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    1: 2014/12/06(土) 07:38:30.63 ID:???0.net
    2014.12.5 07:09

    画像
    http://www.sankei.com/images/news/141205/rgn1412050028-p1.jpg

     古墳時代から飛鳥時代にかけて日本の政治や文化に影響を与えた朝鮮半島の百済を紹介する特別展「古代日本と百済の交流」が来年1月1日から、福岡県太宰府市の九州国立博物館(九博)で始まる。
    奈良県の石上神宮に伝来する国宝「七支刀」=写真=が、九州では初めて期間限定で展示される。3月1日まで。

     七支刀は、4世紀に百済から倭に贈られたとされる鉄剣で、両国の息の長い交流を感じさせる。実物は1月15日から2月15日までの限定公開で、ほかの期間はレプリカを展示する。

     日本書紀の記述から日本生まれとされる百済王「武寧王」の没年を記した墓誌石(6世紀)など、韓国の国宝も登場する。

    (記事の続きや関連情報はリンク先で)
    引用元:産経ニュース http://www.sankei.com/region/news/141205/rgn1412050028-n1.html

    引用元: 【文化】 国宝「七支刀」九州初公開へ 福岡 [産経ニュース]

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    1: 2010/10/17(日) 15:05:51 ID:eBDpOYnS0.net
    第二次世界大戦まえ、日本の内政を一手にひきうけていた内務省。
    警察をつかって国民を統制していたというマイナスの評価がほとんどだが、都道府県をつうじて効率のよい行政をおこなっていたとの評価もあるが実態はどうだったのか。

    引用元: 内務省

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