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    松江市

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    1: 2016/07/13(水) 04:07:25.23 ID:CAP_USER9
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/K10010592841_1607122035_1607122150_01_02.jpg

     戦国武将の真田幸村が築いたとりで、「真田丸」が取り壊されたあとの詳しい様子を描いた絵図が松江市で見つかりました。
    専門家は、「真田丸」が独立性の高い大坂城の出城だった可能性を示す資料だと注目しています。
    この絵図は、松江市にある松江歴史館の所蔵品の中から見つかりました。
    縦およそ28センチ、横40センチ余りで、真田幸村の名で知られる戦国武将の真田信繁が、大坂冬の陣で築いたとりで「真田丸」が取り壊されたあとの堀の跡や敷地の様子が描かれています。
    真田丸の南側には、惣構堀という外側の堀が記されています。また、北側の大坂城に近い場所には真田丸の出丸として小さなとりでがあったと記されています。

     松江歴史館によりますと、真田丸の姿を描いた絵図は多く残されていますが、取り壊されたあとの詳しい様子を描いたものは珍しいということです。
    資料を分析した奈良大学の千田嘉博学長は「真田丸が独立性の高い出城だった可能性を示す貴重な資料だ」と指摘しています。この絵図は、ことし9月から松江歴史館で公開されます。

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/k10010592841000.html
    (7月12日 21時51分)

    ダウンロード
     

    引用元: 【社会】真田幸村が築いたとりで「真田丸」出城の可能性示す絵図見つかる©2ch.net

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    1: 2016/05/01(日) 09:54:54.35 ID:CAP_USER*
    国宝・松江城「天守雛形」の謎…国内最古説も製作年不明、現天守と異なる細部 市が本格調査へ

    http://www.sankei.com/west/news/161221/wst1612210004-n1.html
     国宝松江城天守の柱や梁(はり)などの内部構造を精巧に再現している模型「松江城天守雛形(ひながた)」。
    天守の歴史を知るための貴重な資料だとして松江市指定文化財となっているが、江戸時代・寛永期の作とされてきた従来の見解が近年揺らぐなど、謎の部分も多い。
    このため、市松江城調査研究室は今年度以降、模型の本格調査に乗り出す考えだ。

    完成後30年で改修?

     天守の模型は、大規模改修などに先立って製作されるケースが多い。
    松江城天守雛型の場合は、1638(寛永15)年に松江藩主となった松平直政に従って国入りしたお抱え大工頭が、「天守が1メートル程度傾いている」と直政に申し出て、修理を命じられた際に作ったとされている。

     この根拠となったのが、幕末に家臣が記した「藩租御事蹟(ごじせき)」という書物の記述とされる。
    「これが本当なら、1611(慶長16)年の天守完成からわずか30年ほどで、大改修の必要に迫られたことになる」と松江城調査研究室。

     だが、寛永期に天守が改修された史実は見当たらない。
    修理記録や部材の墨書などから確認できるのは、1676(延宝4)年に行われた天守付櫓(つけやぐら)の装飾「懸魚鰭(げぎょひれ)」の修復。
    その後の1700年代以降は天守がたびたび改修されたようだ。

    続きはソースで

    産経WEST:2016.5.1 09:00 
    ダウンロード (1)


    引用元: 【文化/歴史】 国宝・松江城「天守雛形」の謎 国内最古説あるも製作年不明 現天守と異なる細部 市が本格調査へ©2ch.net

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