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    記録

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    1: 2016/05/13(金) 05:55:19.62 ID:CAP_USER
    2016年05月12日
     国内最大規模の横穴墓群とされる国指定史跡「吉見百穴」がある吉見町は、2017年に発掘130年を迎えるのを前に、写真や記録などの提供を呼びかけている。吉見百穴の資料や出土品は少なく、町は「新たな資料が見つかれば、研究を前進させる手がかりになる」と期待している。

     吉見百穴は古墳時代末期(6世紀末~7世紀末)に造られたとされる。1887年、東京帝大(当時)の大学院生・坪井正五郎が、当時の県議で後の貴族院議員・根岸武香の助力で237基の横穴墓を発掘した。戦時中に地下軍需工場が作られて一部の横穴墓が壊され、現在確認できるのは219基だ。

     出土した須恵器や太刀、発掘時に撮影された写真などは約50点にとどまる。資料を保管するのは、吉見百穴の土地を所有し、百穴前で土産物店を営む大沢康さん(52)。「発掘前の写真が見つかると面白い」と期待を寄せる。町埋蔵文化財センターの弓明義学芸員(51)も「237基もの横穴墓が発掘されたのにこれだけ、というのは変だ」と首をかしげる。

     県立松山高校教諭などとして百穴研究に携わった金井塚良一(1929~2015年)は、「大正初期に敷地内にあった『陳列館』が火事に遭い資料が焼失した」「県外へ流出した可能性がある」といった説を唱えたが、いずれも裏付けは得られていない。

     写真や記録の募集は6月末まで。8月下旬~9月中旬に「吉見百穴写真・記録展」を開く。弓学芸員は「吉見百穴の謎は壮大な古代ロマン。新資料が見つかれば研究に光が差す」と語る。

     資料提供は、町ホームページから応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入して資料とともに(リンク先に有)に持参または郵送する。問い合わせは(リンク先に有)へ

    http://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/news/20160512-OYTNT50016.html
    images


    引用元: 【歴史】吉見百穴 資料提供求む…来年発掘130年©2ch.net

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    1: 2016/08/01(月) 01:31:11.10 ID:CAP_USER9
    陣中日誌を解読した一戸会長(前列中央)ら「みやぎの近現代史を考える会」のメンバー
    http://storage.kahoku.co.jp/images/2016/07/31/20160731kho000000014000c/001_size6.jpg

     仙台市に司令部を置いた旧陸軍第2師団所属部隊の「陣中日誌」の解読が、在仙の歴史研究者らによって終了した。「みやぎの近現代史を考える会」が、14年かけて取り組んだ。部隊が参戦した満州事変(1931年9月18日)の戦闘状況や、兵営の生活が記されている。旧陸軍は敗戦時に記録の処分を指示し、公的記録が残っているのは珍しい。軍の実情を知る上で貴重な資料になる。

     解読されたのは、第2師団野砲兵第2連隊第1大隊本部(約360人)の日誌。第2師団は満州事変当時、約5000人が駐屯し、主力として最前線に投入された。事変直後の9月21日から翌32年末までの日誌が残されている。

     作戦命令や関東軍司令官の訓示、兵営での慰霊祭を克明に記録。中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽)から遠く離れた満州北部での作戦では「敵の銃声熾烈(しれつ)」「両翼を包囲され死傷者続出」と生々しく記されている。

     厳寒による凍傷患者は、事変全体を通じ約1800人に上ったとされる。日誌は将来への参考意見として「防寒具の整備、給養の良否、兵卒の休眠状況に配慮することが必要。

    続きはソースで

    http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201607/20160731_13024.html
    ダウンロード (2)


    引用元: 【宮城】「日本軍の発想と体質がうかがわれる資料だ」 “満州事変” 旧陸軍第2師団所属部隊の「陣中日誌」解読、軍の実情あらわ©2ch.net

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    1: 2016/05/10(火) 18:50:03.72 ID:CAP_USER*
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/K10010515201_1605101730_1605101732_01_02.jpg

    龍馬の刀と「確認」暗◯時も手元にあったか

    5月10日 17時32分

    幕末の志士、坂本龍馬が亡くなってから来年で150年になります。京都の博物館に所蔵されている刀が、龍馬が暗◯された際に手元に置いていた刀だった可能性が高いことが最新の研究で分かりました。
    これは京都国立博物館などが10日に会見を開いて発表したものです。
    京都国立博物館に所蔵されている刀は、昭和の初めごろに龍馬の遺品として坂本家から寄贈されたものですが、刀の特徴が龍馬が使っていた「吉行」銘の刀と異なっていたことから、実際に龍馬の刀かどうかはよく分かっていませんでした。

    これについて、京都国立博物館が最新の撮影機器で調査した結果、刃の部分に龍馬の刀に特徴的な模様が僅かに残されているのが確認できたということです。さらに、去年、刀が寄贈された当時の資料が見つかり、その中に火災のため刃を研ぎ直したと記録されていたということで、このため、本来の特徴が分かりにくくなったとみられるということです。

    このため、博物館では、この刀が龍馬が京都にいた当時、愛用していたもので、暗◯された際に手元に置いていた可能性が高いとしています。
    京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の刀だと確認できたことは龍馬ファンにとってうれしい発見だと思う」と話していました。
    この刀は、ことし10月から京都など全国4か所で開かれる龍馬の特別展で公開される予定です。

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/k10010515201000.html?utm_int=news_contents_news-main_006
    ダウンロード (3)


    引用元: 【歴史】龍馬の刀と「確認」暗殺時も手元にあったか©2ch.net

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